医王寺本堂がある郭は南以外の三方が土塁に囲まれています。南側も近年まであったとのことです。
東側は特に高く外側に空堀もあります。
医王寺がある小さな城山一帯となります。 聖武天皇の東国行幸の際の、川口頓宮の有力候補地でもあります。
医王寺本堂がある郭は南以外の三方が土塁に囲まれています。南側も近年まであったとのことです。 東側は特に高く外側に空堀もあります。
虎口の向こうにもいくつかの郭があります。
本堂のある郭東側には土塁が走り、その東側も竹林となっていますが、広い削平地が広がっています。 石積みも見られますが後世のものかな。
本堂東側の郭は本堂のある郭と同じくらい広々としています。
本堂北東先へ進むと出曲輪があります。 北から行くと柵がありますが、東側の虎口から向かうと柵はありません。
城趾碑はなく、川口頓宮跡の石碑と案内板があります。この周辺も低土塁などは見られます。 740年聖武天皇は(我思うところあって東国に行こうと思う)という詔を出し、東国行幸へと出発しました。 人々からは(九州で 勃発した藤原広嗣の乱に恐れおののいた天皇が、乱を避けるために東へ逃げたのだ)と評されてしまいました。 出発して 5日目に広嗣逮捕の報を、その後処刑の報を、ともに川口の頓宮において受けているとのことです。 その後赤坂頓宮からは壬申の乱の行軍をなぞった行幸をされているとのことです。
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