小さいながらも、中世の武士の居館の雰囲気がしっかり残っていて、素敵な公園だと思います。
我が郷里にも良い公園があるんだなぁ…と感じました。
何の碑だかは判りませんでしたが、背後の『浅野長愛公御手植杉』『浅野長勲公御手植杉』は判りました。
寧々の歌碑の隣にあります。
主郭部分を南北に仕切る水堀と土塁の痕跡…かな?この小さな水路は、折れながら西側の外堀まで繋がっていたと思われます。
大手口であったと思われる公園正門。土橋の両脇には水堀があり、公園全体を全周しています。
土塁と謳いましたが、土塁なのか構成の改変によるものなのか、わかりません。
この公園は、大正になって地元の方々の尽力で公園化されたそうです。全周する水堀も往時の名残を伝えてくれています。
現在の地勢を考えると、この城址はほぼ正方形の主郭、その南東部分にひとまわり小さい方形の曲輪が付随して形成されています。主郭部分も、東西に走る水堀で南北に分かれていたようです。
城址の沿革が記されています。
この南側には浅野公園の碑と説明板があるのですが、間に電話ボックスがあり間が抜けているので撮影はやめました。
内容はうろ覚えですが、浅野家が岐阜からこの地に移ってきたことや、長勝・長政・幸長が秀吉や家康に従って活躍したことなどが記されています。
小さいながらも、中世の武士の居館の雰囲気がしっかり残っていて、素敵な公園だと思います。 我が郷里にも良い公園があるんだなぁ…と感じました。
たぶんね、公園を堀沿いに一周しても5分とかからないほどの小公園。長勝を訪ねに秀吉夫婦も訪れてるんでしょうね、きっと。 4月下旬には、今でも毎年つつじ祭りが開催されているはずです。是非みなさんも訪ねてみてください。
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