井平家は井伊家七代目、弥直の時代に分家した氏で、井平四郎左衛門直時を祖としています。子孫が戦国時代に討死して断絶するまで、井平家は約350年間、8代つづきました。
井平家は井伊谷領の北にある井平・花平地域を治め、殿村に居館を構えていました。また、直時は居館の北の高地に、井平城を築城したといわれています。
ここは登城口でもあり、現地には案内板が設置されています。
井伊家ゆかりの地井平氏居館跡 Former Site of the Idaira Residence
この場所は、井平(いだいら)氏の居館跡と伝えられております。寛元3年(1245)井伊家から分家した井平直時(なおとき)は此処に居館を構え、この先北方の300mの山麓に城を築き、井平氏の祖となりました。それから約330年の間、井平氏は井伊氏を支える有力な家系となり、井伊直虎(なおとら)の曾祖父や祖母(井伊直平(なおひら)の妻や井伊直宗(なおむね)の妻)はこの地で誕生しております。
元亀3年(1572)武田信玄軍が侵攻した井平城(仏坂)の戦いで当時の城主、井平直成(なおなり)は88名の家臣と共に討死しました。城郭、居館は焼き討ちに遭い、井平氏は一時途絶えました。その後、天正元年(1573)井伊直平の末子、井伊直種(なおたね)が井平氏の当主となり、殿村(とのむら)に居館を築きました。天正18年(1590)直種の嫡男弥三朗(やさぶろう)は、井伊直政の家臣として小田原攻めに参戦し、18才の若さで討死、井平氏は断絶しました。近くには直種夫婦、弥三朗の墓所があり、位牌は長興寺に、御霊は林森神社に祀られております。
This site is said to be the where the residence of the Idaira, a branch family of the Ii, once stood. Ii Naotora's great-grandmother and grandmother both came from the Idaira family.平成28年11月 北区まちづくり推進課