小松城址に立てられている案内板の内容を紹介します。
小松城
「小松城」の資料上の初見は、天正11(1583)年、羽柴秀吉配下の前田利家(まえだとしいえ)が、柴田勢から「小松之城」を受け取り、これを堀秀政に渡したとする書状である。秀吉の時代に村上氏や丹羽氏が居城し、慶長5(1600)年10月より前田氏の有するところとなった。
ただ、この段階までの小松城の状況は不明で、寛永17(1640)年、加賀藩主前田利常(まえだとしつね)が隠居領の居城として整備したのが、今に伝えられる小松城と城下の実質的な建設であったと考えられる。
小松城は、梯川の蛇行によって作られた沼地を利用した平城であり川の水を引き入れた堀の中に8個の島が兵法に従って配置されている。城の面積は、金沢城の倍近い約56万m2に及ぶ広大なものである。
城地の約30%を堀が占めておりその様は「小松の浮城」とも呼ばれたぐい稀な景観をもつ名城であった。
表向きは利常の隠居城であるが、外敵に対する防備を堅くした渦郭式(かかくしき)といわれる構造である。河川を巧みに利用した反面、水害に対する備えも必要で、盛土の他、随所に堅牢な石垣による護岸を行っていた。