小松城
小松城

[石川県][加賀] 石川県小松市丸の内町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.89(--位)
  • 見学時間:31分(--位)
  • 攻城人数:244(287位)

小松城の案内板

小松城址に立てられている案内板の内容を紹介します。

小松城
 「小松城」の資料上の初見は、天正11(1583)年、羽柴秀吉配下の前田利家(まえだとしいえ)が、柴田勢から「小松之城」を受け取り、これを堀秀政に渡したとする書状である。秀吉の時代に村上氏や丹羽氏が居城し、慶長5(1600)年10月より前田氏の有するところとなった。
ただ、この段階までの小松城の状況は不明で、寛永17(1640)年、加賀藩主前田利常(まえだとしつね)が隠居領の居城として整備したのが、今に伝えられる小松城と城下の実質的な建設であったと考えられる。
 小松城は、梯川の蛇行によって作られた沼地を利用した平城であり川の水を引き入れた堀の中に8個の島が兵法に従って配置されている。城の面積は、金沢城の倍近い約56万m2に及ぶ広大なものである。
 城地の約30%を堀が占めておりその様は「小松の浮城」とも呼ばれたぐい稀な景観をもつ名城であった。
 表向きは利常の隠居城であるが、外敵に対する防備を堅くした渦郭式(かかくしき)といわれる構造である。河川を巧みに利用した反面、水害に対する備えも必要で、盛土の他、随所に堅牢な石垣による護岸を行っていた。
   

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今日のレビュー

教科書には書かれていない江戸時代

「教科書には書かれていない」というワードと、教科書会社出版という2つにひかれて手に取った本です。
教科書に書かれている事実(とされている事柄)の間を丹念に埋めるような内容です。
「参勤交代の経済学」は、面白かったです。「大名は本陣に泊まるときには、宿泊料を払わなかった」とか、「『超高速参勤交代』は、超高速じゃなかった」とか、「参勤交代で、行列同士が出会ったら」とか、面白くて一気に読みました。
あとは、「武士道と切腹」「幕末のとある旗本の一生」「天璋院篤姫」「徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか」「江戸の庶民」「江戸の学問、名君池田光政と花畠教場・閑谷学校」など、事実だけではなく、そこに至る経緯、人の思惑、顛末など教科書のすき間を埋める事柄がたくさん書かれています。
授業で教えてくれたら、面白かっただろうな、でもきっと決められた時間数では終わらないだろうな、なんて考えながら読みました。

黒まめさん)

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