城域の西端にあたり、現在は独立した土壇となっています。東側の主郭部分との間は一段低くなっていますが、後世の改変によるものかもしれません。位置からすると、物見台であったことは間違いないでしょう。
現地では中峠城という名称より、芝原城の名称の方が通っているようです。画像右手の堀切は、普通自動車がギリギリ通れないくらいの道幅でしたので、古利根沼畔に駐車して攻城しました。
案内板や説明板では芝原城でしたが、この庚申塔では中峠城とありますね。ちなみに中峠=なかびょうと読みます。
この城址最大の遺構。この土塁の向こう(東)側には、幅10mはあろうと思われる空堀があり、現在ある舗装路も当時の通路そのままだと思われる折れがかかった通路になっています。
この辺りが一番当時の痕跡をとどめていると思います。このカーブの左手には土塁と幅広の空堀があります。右手にも空堀が広がっていたと思われますが、私有地の畑になっています。それでも折れのかかった堀であったことが、現在の地形からでも読み取ることができます。
二郭と三郭の跡地は、自然観察の森として、整備・保存されています。・・・整備というか、野ざらしというか・・・、夏場は虫除けスプレー必須です!
三郭東側の堀切を利用したと思われる道。ニ・三郭の南半分は、宅地化のため隠滅しています。発掘調査でこの辺りに堀があったことがわかっています。
主郭東虎口の土塁と堀以外、なかなか遺構が探せない中、自然観察の森の中で見つけた説明板。自然観察できるほどの森ですので、遊歩道はありますが鬱蒼としていて目的の何かがないと足を踏み入れない公園です。見つけられて良かったσ^_^;
芝原城説明板の北東側には、堀幅の広い空堀の遺構が見受けられます。画像左手の柵で、傾斜感がわかってもらえるでしょうか……?空堀の向こう側は土塁?自然堤防?で、三郭地表から3mほどの高さがあります。
古利根沼公園とありますが、公園というより遊歩道のある森です。虫の羽音がわんわんうるさいくらいでした。堀と土塁の痕跡が見つけられます。
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