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走る歴女です。

ぐこさんのタイムライン

ぐこさん が  八町城(滋賀県豊郷町) を攻城しました(2024-05-12)

ぐこさん が  伏山城(岡山県岡山市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-11)

ぐこさん が  洞城(岐阜県飛騨市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-11)

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-11)

今日は飯田線に乗って新緑の車窓をのんびり楽しみ、静岡県の高根城、大洞若子城へ行ってきました。
豊橋駅の黒板で知ったのですが、飯田線の秘境駅は高根城の最寄り駅より長野県寄りにいくつかあるんですね。

先月井伊氏一門のお城を巡った流れで、奥山氏の高根城が気になって私も流れてきた訳ですが、高根城も大洞若子城も武田にガッツリ改修を受けたお城なんですね。とても見応えある堀切、高根城は復元建物もあるし、すごく良かったです!女城主直虎も思い出しました☺️ただ、2城のフォーメーションはとても類似しているので、原型は残っているかもしれないないですね。

南北朝時代、奥山氏次男の系統の奥山貞則は宗良親王の妻となった井伊道政の娘・駿河姫が安全に出産できるよう奥地の高根城に城を築き、後に結ばれます。そのことから次男の系統が奥山氏嫡流を凌ぐことにもなってしまったそうです。
高根城の落城は、武田・今川・徳川への帰属巡る内部騒乱による、と書いてあって(え〜そんなの残念)ってなりました。

飯田線は電車の本数も少ないので、お城をじっくり周り、塩の道を歩いたりして過ごしていましたが(時間まで天竜峡方面の電車に乗って秘境の駅を見てからギリギリで折り返して帰ったらどうかな?)と気づき、秘境の駅を見たり、降りたりして引き返し、帰ることができました。こういう事するのは初めてでしたが、面白かったです。
写真は大洞若子城の城山前を走る飯田線の列車。今日は撮り鉄?

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

犬上神社
犬上神社

この地の豪族だった犬上氏に由来した神社で、犬上の名は郡の名にもなっています。
犬上一族では聖徳太子が隋に遣隋使を派遣した際に小野妹子の副官だった犬上三田鍬が有名です。その後に遣唐使も務めています。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

豊郷小学校旧校舎群
豊郷小学校旧校舎群

近江商人が造った白亜の教育殿堂。ヴォーリス建築としても名を馳せました。
今はアニメの聖地でもあるみたいです。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

堀跡
堀跡

豊郷小学校旧校舎群の前にあります。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

案内板
案内板

お城のことにも少し触れた由緒書です。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

城趾の八幡神社
城趾の八幡神社

とても大きいケヤキの木があり、いい感じです。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

城趾碑
城趾碑

城趾の八幡神社の中山道側にあります。

ぐこさん が  高野瀬城(滋賀県豊郷町) の写真をアップしました(2024-05-09)

城趾碑
城趾碑

城趾は工場となっており、正門前に石碑があります。
周囲には竹藪がいくつかあり、気になりましたが私有地のようでした。
愛知川以南と以北で佐々木六角氏と京極氏(戦国期には浅井氏)で分配されており、高野瀬城あたりは前線でした。

ぐこさん が  那須城(滋賀県豊郷町) を攻城しました(2024-05-09)

ぐこさん が  高野瀬城(滋賀県豊郷町) を攻城しました(2024-05-09)

城趾の工場(古河AS)の正門脇に立派な城趾碑があります。

ぐこさん が  石部城(滋賀県湖南市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-08)

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-08)

今日は5月なのに寒い、という天気予報だったので、
滋賀県の豊郷町などの城館が密集したエリアを爽やかに?ラン攻城してきました。最寄り駅を間違えて必要以上に走り回ってしまいましたが💦

ほぼ城趾碑しかないお城が多かったので、いつもより多くお城を回れたのですが、浅井氏家臣のものもあったけど、ほぼ六角氏家臣や一族のお城でした。
それらのお城の城主の来歴は、那須与一の弟とか、六角氏の分家で宇治川の合戦で先陣を切った強者とか‥なんだか誇り高い感じの城主が多くて面白く感じました。さすが代々近江守護を務めた家の家臣、なのかな。

信長は近江進出に際して、合戦以前から、六角氏の有力家臣たちに降服を勧告していたそうです。
六角父子は箕作山城が落城したのを聞くやいなや、観音寺城を退いて、甲賀山中へと逃亡しました。これは近江の京極道誉など古来からの近江の大名の常套手段だったけれど、支城の家臣にとっては捨て石になりたくないですよね💦
この報を聞いた六角氏の主な家臣達は、織田軍に降参し、各支城を明け渡すと共に、信長の軍門に下ったそうです。オセロの色が一気に変わるみたいですね。
そんな六角義賢も信長死後は秀吉の御伽衆となっているから、うまく生き残ったといえるのかもしれませんね。
写真は那須城近く(東洋一の小学校)と言われたヴォーリス建築の旧豊郷小学校です。ステキな建物で、結婚式がやってました☺️

ぐこさん が  葛下城(岡山県鏡野町) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-07)

ぐこさん が  志波城(岩手県盛岡市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-06)

ぐこさん が  京城(三重県紀宝町) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-06)

ぐこさん が  大聖寺山城(兵庫県上郡町) を「行きたいお城」に登録しました(2024-05-05)

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-04)

今日はリニューアルした名古屋市農業センターに行ってきました。動物と触れ合ったり、収穫体験をする所で、のんびり過ごしてました。
名古屋コーチンのパネル展示をボケーっと眺めていたら、名古屋城下地図が展示されていて(なんでなん?)名古屋コーチン産みの親の海部兄弟は元尾張藩士で、武家屋敷跡にあった彼等の住まいを記したものでした。

江戸時代は闘鶏用の鶏や愛玩用のチャボは飼われていたけれど、全国的には養鶏業がなかったそうです。そんな中、尾張藩は中下級武士の内職として養鶏をして卵や肉をうる(サムライ養鶏)が幕末、また職を失った元藩士によってもよくなされていたそうです。
海部兄弟らによって育種改良がなされ、紆余曲折あって全国に普及したの名古屋コーチン。その後外国種におされて絶滅寸前にまでなったこともあったそうですが、昔ながらの味を求めて復活をまた遂げたんだそうです。

私は数回しか名古屋コーチンを食べたことはないですが、好きな赤ワインと相性が良かったのを覚えています。愛知県攻城の際は召し上がってください☺️

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今日のレビュー

ぐんまの城30選 戦国への誘い

有名どころばかりを集めた本でなく、しっかりと文献資料が残る城を選んで掲載しているのでマイナー城もありますが、資料としても頼りになる1冊です。

むぎさん)

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