のり(のり)さん 家老   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

中津神社
中津神社

幕末に参勤交代や人質などの政策が緩められた際に、江戸から戻ってきた姫君たちを住まわせるために建てられた「松の御殿」の跡地に建てられたそうです。

のりさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-04)

仕事の夜勤明けの帰りに無性に山城に行きたくなったので、地元の金山城に行ってきました。去年に一度訪れていたのですが、丹波市側のルートでしか行っておらず、メインルートである追入神社近くの登城ルートからは登城していなかったのと、写真もそんなに撮っていなかったのが金山城を選んだ理由です。金山城は明智光秀が黒井城の赤井氏と八上城の波多野秀治の連携阻止を図るために築いた城で、「明智光秀ゆかりの城めぐり」バッジの対象の城でもあるので、バッジの獲得を目指している方もご存知だと思います。私もバッジを獲得しているのですが、ここと周山城がしんどかったのを覚えています。特に金山城はアクセスが悪く車が無いと厳しいので、獲得者が少ない理由なんだと思います。金山城へ行く方法としては、JR篠山口駅からレンタカーを借りていくか、JR柏原駅(丹波市)からタクシーかレンタカーもしくは、かいばら観光案内所に行ってレンタサイクルで行く方法があります。JR柏原駅のほうが金山城の最寄りではありますが、電車の本数が篠山口駅のほうが多いのと、レンタサイクルの場合は傾斜のきつい鐘ヶ坂を上らないといけないので、個人的には篠山口からレンタカーがおすすめです。写真は金山城の「鬼の架け橋」といって、古くから大江山の鬼が架けた橋であるという民話が語り伝えられていて、15世紀中頃、地震により崩落した岩が偶然にこのような形状になったそうです。本丸からの眺望も素晴らしいので、是非行ってみてください。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

角牟礼神社
角牟礼神社

本丸ヘ向かう途中にある神社で、不動尊が祀られているそうです。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

展望所からの眺望
展望所からの眺望

展望所より城下町を望む。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

本丸跡
本丸跡

角埋山の山頂576m地点で、周囲には土塁が巡らされています。石垣解体修理工事のための石が置かれており、立入禁止となっています。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

切岸
切岸

西門跡から本丸ヘ向かう途中にあり、この上に本丸跡があります。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

西門跡
西門跡

二の丸西曲輪の北側にあり、平成の発掘調査で櫓門の礎石が発見されたそうです。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸西曲輪
二の丸西曲輪

角牟礼城で一番広い曲輪で、建物の礎石が見つかっており、ここが主曲輪だったそうです。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸南虎口石垣
二の丸南虎口石垣

東へと80mに渡って築かれており、二の丸内には簡単に侵入出来ないようになっています。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸西曲輪石垣
二の丸西曲輪石垣

大手門を破って攻めてきた敵を迎え撃つための防御線で、二の丸南虎口の石垣に比べると石が小さいです。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

大手門跡
大手門跡

平成5年(1993)の発掘調査で、二の丸南に櫓門の礎石が発見されたそうです。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸南虎口
二の丸南虎口

道は180度曲がって上に続いています。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

竪掘
竪掘

三の丸付近に築かれています。

のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

三の丸跡
三の丸跡

林道により一部が壊されていますが、三方を石垣で囲まれた曲輪で、ここまで車で来ることができます。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

西之丸角櫓付近の白壁
西之丸角櫓付近の白壁

江戸時代の終わり頃は南西隅櫓の両側の塀は板塀だったそうで、石垣の最上部に平らな石が並び、塀が建てやすくなっています。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

西之丸角櫓
西之丸角櫓

昭和20年(1945)の戦災によって焼失し、その後昭和41年(1966)に復元されたそうです。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

慶長の石垣
慶長の石垣

築城当時の慶長期(1600年前後)に積まれたもので、山里丸を囲む石垣の一部だそうです。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

扇櫓跡
扇櫓跡

本丸の北東隅にあり、この場所は鬼門にあたるため、隅に角をつけない扇形にした鬼門除けの手法がとられています。現在、櫓は残っていませんが、明治17年(1884)の県の公文書に櫓の払い下げの記録があり、その時期までは存在していたことがわかったそうです。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

人質櫓
人質櫓

府内城に残るもう一つの江戸時代の櫓で、本丸の北東部、人質場と呼ばれた曲輪に位置し、文久元年(1861)に再建されたものだそうです。

のりさん が  府内城(大分県大分市) の写真をアップしました(2024-05-02)

帯曲輪
帯曲輪

江戸時代に大分川の河口により造られた人口の土手で、土手の上には塀が建てられていたそうです。

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今日のレビュー

時空旅人 2019年 11月号 Vol.52 熊本城

熊本城の築城から西南戦争、3年前の被災から10月5日(あ、今日ですね。)から始まる特別公開までの情報が凝縮に詰まった一冊。特別公開前の予習にいかがでしょうか。
次回行く機会があれば加藤清正廟所の本妙寺と一緒に熊本城を巡りたいなと思いました。

たなとすさん)

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