藤式部卿

藤式部卿(ふじのしきぶきょう)さん 大老 サポーター   フォロー

新型コロナの影響もだいぶ落ち着いて来たので、公共交通機関を利用しての遠征を再開しています。「正続100名城スタンプ」「御城印」「御朱印」を求めて全国を行脚し、訪れた土地でご当地グルメを頂くことに幸せを感じています。その昔「せまいニッポン、そんなに急いで何処へ行く?」なんて交通標語がありましたが、いやいやなかなかどうして、日本全国結構広いと実感してます。お城めぐりと平行して、諸国一の宮に奉拝して御朱印を頂いております。基本的に鉄路の旅が好きなのですが、コロナ禍でクルマ移動の便利さを覚えてしまったので、行き先に応じて使い分ける様になりました。モットーは「歴史と地理が解れば、旅はもっと楽しくなる」です。

藤式部卿さんのタイムライン

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-03-18)

福島県と宮城県の県境近くにある、阿津賀志山防塁に行って来ました。この防塁は、北上する鎌倉軍を迎え撃つ為に、奥州藤原氏が総力を挙げて築きました。阿津賀志山の山腹を起点に東の阿武隈川まで3キロ余りに達しました。多くが開発で失われたり、土中に眠りますが、途切れ途切れに各所に面影を残しています。土塁好きにはたまらない(笑)場所でした。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-03-09)

八甲田山遭難事件をご存知でしょうか?昭和五十二年に映画が公開されるや大ヒットし、劇中の台詞「天は我々を見放した!!」は流行語になりましたから、ご記憶の方も多いかと思います。映画や原作の小説が大ヒットしたことで、痛ましい事故を風化させることなく今に伝えています。一方、小説や映画に描かれている顛末が「事実」として定着した感があります(元禄赤穂事件/忠臣蔵)もそうですね。最近では、企業の管理職向けセミナーの題材として使われているようです。青森県出身の退役自衛官で、自らも八甲田雪中行軍の経験もある著者が、残された資料を本に隠蔽・捏造された「八甲田雪中行軍」の真相に迫っています。読了して一番驚いたのは、遭難した青森聯隊の当初の目的地である田代新湯は渓谷にある一軒屋で、予定通り到達出来たとしても210名の隊員の大部分は結局、吹雪の中を野営しなければならなかった事実です。行軍計画は最初から破綻していた!!のです。作者は最後にこう結んでいます。事実を隠し偽った事故報告に教訓はない。だが、もしかするとこうもいえるのかもしれない、真実を伝えたところで、その教訓は生かされることはなく、悲劇は繰り返されるのだ、とー。いずれ経験者は皆いなくなります。後生に語り継いで行く事が大事なんですね。明後日は三月十一日。あれから十二年か、早いものです。写真左は大ベストセラーになった八甲田山死の彷徨(新田次郎)。久しぶりに読みました。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-03-05)

前回割愛した、三浦半島の三崎方面に行って来ました。初めて電動自転車に乗りましたが、楽ちんで良いですね。天気も良く、風を切って(笑)走りました。ただし交通量や歩行者が多いところでは、より注意深く運転する必要があると感じました。三崎と言えば、まぐろ丼(写真右中)です。噂に違わず美味でした。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-02-12)

当初は、土曜日に遠征に出ようかと企んでいましたが、大雪の予報が出たので敢え無く断念し自宅に籠城と相成りました。雪は結構積りましたけど、土日ともに気温が高かったので、道路の雪はあらかた溶けました。写真は、雪化粧した堀と土塁…ではなく近在の田圃です。見ようによっては堀や土塁に見えなくもない?(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-29)

寒い日が続いています。積雪量は昨年程ではありませんが、最低気温が氷点下の毎日です。そんな環境ではさすがに遠出する気分にもならず、実家の物置の片付けに着手しました。「こんなもの何で後生大事に取っておくかな(90年代のアイドル雑誌)」から「こんなの良く残ってたね(小学生の通信簿)」まで色々ありましたが、ダンボール箱を開けて一番驚いたのがコレ。「うぉぉ!!量産型ザクだ!!」この辺の感覚は世代人のアナタなら解って頂ける?でしょう(笑)。実家の物置はタイムカプセルでした。余談ですが、小学校の先生の評価が「興味のある話は熱心に聞いていますが、興味のないことはうわの空です」とありました。何か、今とあんまり変わっていないような気もする(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-26)

いやいや寒いです。近年稀に見る大寒波襲来です。現在はどうにか復旧しましたが、水道管も一部凍ってしまいました(涙)。まだまだ寒い日が続きそうですので、皆様くれぐれもご自愛下さい。水が出ないってホントに往生します。ふぅ。ネコは寒くても、縄張りのパトロールは怠らないらしい(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-22)

週末、鎌倉から三浦半島の浦賀まで出かけて来ました。鎌倉に行くのは久しぶりでしたし、大河ドラマの影響で感慨深いものがありました。「浦賀城から望む浦賀水道と房総半島」(写真左下)、浦賀港を東西に結ぶ浦賀の渡し船(写真右中)、三浦氏の支族、津久井氏の菩提寺・東光寺(右下)。今回割愛した三崎方面は、日を改めて訪問したいです。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-20)

今年初めて地元の飯坂温泉に浸かって来ました。なんと正月から御泉印なるものが発売されていると知って、思わず購入してしまいました(笑)。温泉むすめは、全国に100キャラクター以上いて、今回の御泉印は六温泉地で発売され順次拡大していく予定だそうです。御朱印・御城印・武将印・鉄印・御陵印…この前は、鍾乳洞入洞記念の御入洞印なるものを見つけました。さて、次はどんな印が来るのでしょう(笑)。写真は、飯坂温泉駅前の松尾芭蕉像前で撮影しました。芭蕉像の周りが竹で囲われていると、何だか謹慎させられている様な…(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-17)

新聞に共通テストが掲載されていたので、日本史Bを解いてみました。解いた感想は「史料を読み解く力と、歴史を面ではなく線(流れ)で捉える力が問われるのだなぁ」と感じました。個人的に面白いと思ったのは「死後に怨霊となって祟りをなしたと言われる人物」についての設問!!へぇ、こんな問題出るんだ。気になったのは「平城太上天皇の変(薬子の変)」の記述。え!!今は薬子の変って言わないんだ。厩戸皇子(聖徳太子)みたいな感じ?うむむ。因みに点数は80点で、なかなか楽しい時間でした。「好きこそものの上手なれ」でしょうかね(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-08)

福島市瀬上地区にある備中足守藩瀬上陣屋跡に行って来ました。備中足守藩木下家二万五千石は、享和元(1801)年に奥州伊達信夫郡一帯に二万二千石の領地替えを命ぜられ、分領支配のため瀬上地区に陣屋を置きました。大部分の領地替えなど、何をやらかしたのかと思い調べてみましたが、寛政十一(1799)年の参勤途中に不祥事を起こしたから…一説には、殿様が愛妾連れ‼だったことが幕府に露見し、更に事後処理に失敗したからと言われている様です。最上稲荷社(写真左上)が唯一の陣屋の遺構です。敷地内には樹齢350年の大カヤ(写真左下)もありました。余談ですが、この瀬上陣屋は、戊辰戦争時には細谷十太夫率いる仙台藩遊撃隊・烏組が拠点としました。こうしてみると、福島市周辺は、天領や色々な藩の飛び地等が複雑に入り組んでいたんですね。福島藩板倉家は160年に渡って福島市周辺を治めましたが、会津や二本松や相馬みたいな「俺らが殿様」感が薄いのは、きっとこの辺が原因ですね。源義経の忠臣と謳われた、佐藤継信忠信兄弟には親近感が湧くのですけどね(笑)。考えてみれば、自分が住んでるトコは、江戸時代にはだいたい幕府領だったみたいです。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-06)

先日、三春城に行くついでに少し遠回りして、月館町にある下手渡藩陣屋に寄ってみました。筑後国三池藩一万石の領主・立花種周は、文化3(1806)年に政争に敗れ若年寄を罷免された上に陸奥国下手渡一万石に領地替えとなり、当地に赴任しました。驚いたのは一万石の外様大名が若年寄の要職に就いていたこと。藩主が優秀であれば、外様でも幕政に参画した話は聞いた事がありましたが、身近にこんな事例があったとは。ひょっとしたら外様の小藩だし、風当たりも強かったのかな。余談ですが、嘉永3年に下手渡藩は旧領三池に五千石を回復し、奥州と九州で領国経営をすることとなります。これはこれで大変そうです。

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藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2023-01-01)

年が明けました。今年は卯年なので作ってみました。庭に植えてあるナンテンの実と葉を使いましたが、兎っぽく見えるもんですね(笑)。今年の年末年始は昨年と違い、雪がほとんどないので楽で良いです。本年は感染対策に気を付けながら、公共交通機関を利用したお城巡りを本格的に再開したいと思っています。何分宜しくお願い致します。今年は跳ねていきますよ!!(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-31)

今年ももうすぐお仕舞いです。私の拙い文章にたくさんの「あっぱれ」をありがとうございました。令和四年は色々ありましたが、城攻めに関しては前々から行きたかった、東美濃の山城や北陸のお城に行くことができて、充実した一年になりました。来年はそろそろ公共交通機関を利用した遠出を再開したいです。来年もひとつ宜しくお願い致します。さらば寅年(写真右下・笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-30)

本日、攻城団に入団して丸五年になりました。何かあっ!!と言う間だった様な(笑)。さて、羽根山城に行って来ました。関ヶ原合戦の折り、上杉景勝が伊達政宗の動きを牽制するために、福島市北部にある羽根山に砦を築きました。それが羽根山城です。現在は頂上に塩竈神社が鎮座していますが、昭和初期まであった社殿は、山城に使用していた資材を利用して造られたと伝わっています。山頂から、松川合戦時に政宗が本陣を敷いた信夫山方面が一望出来ます。余談ですが、羽根山城の城主は樋口秀兼(直江兼続の末弟)だとも言われています。さて、明日は大晦日です。今年も、もうじきお仕舞いですね。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-26)

福島市飯坂町にある、刈谷藩湯野陣屋跡に行って来ました。現在は西根神社が鎮座していますが、陣屋の遺構は特にありませんでした。福島藩は財政窮乏から生産性の高い土地への領地替えを幕府に申し出て、寛政四年に刈谷藩領一万石と福島藩領一万石の交換となりました。だから福島市に刈谷藩の陣屋があり、愛知県刈谷市に福島藩の陣屋があるんですよね。幕末期、福島藩は奥羽越列藩同盟に加盟しましたが、刈谷市にある重原陣屋は東海道筋に位置し、情勢に敏感だったからか、新政府に同調する捻じれ現象がおきたりした様です。こう言った飛び地に関して調べて見るのも、面白いと思いました。意外な藩の分領が意外は場所にあったりしますね。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-24)

今日はクリスマス・イブです。写真は、みなとみらい駅からパシフィコ横浜に行く途中にある、クリスマスツリーです。毎年定位置に立つので、お城EXPOの帰りにツリーの写真を撮影するのが恒例となりました。クリスマス寒波が襲来しているので、普段雪が降らない所の方々もお気を付け下さい。もうすぐ今年もお仕舞いですね。何か年々早くなる様な…(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-18)

お城EXPOに行って来ました。昇太師匠&小和田哲男先生&加藤理文先生の「静岡のお城を語る」が楽しかった。3人揃うと軽妙なトークで、とても解りやすかったです。会場はまさに城熱沸騰って感じでした。今年は御城印の大人買いは控え目にしました(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-12)

週末、所用でいわき市小名浜に行って来ました。写真左側が、小川町で発見した「磐州城天守閣」(攻城団未登録・笑)。何でも閉園になったテーマパークのシンボル的な存在だったらしいですが、県民なのに存在を初めて知りました。勿論、立入禁止です。右上が小名浜港のアクアマリンふくしまと巡視船。右下が弁天島です。海を見るとテンションが上がります(内陸の住民あるある?(笑))。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-05)

週末、須賀川市で開催されている「アニメージュとジブリ展」に行って来ました。「テレビまんが」とともに幼少期を送り、アニメ全盛期に少年時代を過ごした身としては楽しい内容でした。熱心なアニメファンと言う訳ではありませんでしたが、三つ子の魂百まで…とはよく言ったものです(笑)。お城関係では、「天空の城」の語源になったと思われる「天空の城ラピュタ」のジオラマ(真ん中下)がありました。見に行った本当の理由が、奥方様がトトロに似ているから…って言うのはナイショです(笑)。

藤式部卿

藤式部卿さん が最近のひとことを更新しました(2022-12-01)

近在の田圃に、少し前から冬の使者・白鳥がやって来ています。今日から師走だし、気が付けばもう冬ですね。先週、伊達市にある霊山神社(御祭神・北畠親房/顕家)を参拝したのですが、建武中興十五社と言う神社の区分けがある事を初めて知りました。南朝に縁のある人物を祭神としてお祀りする神社のグループです。そんなのがあったんですね、へぇ。因みに吉野神宮(奈良県/後醍醐天皇)、湊川神社(兵庫県/楠木正成)、四條畷神社(大阪府/楠木正行)等です。大名家の藩祖や中興の祖など歴史上の人物をお祀りした神社は結構ありますね。これらは明治政府が押し進めた国家神道と関係がありそうです。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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