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走る歴女です。

ぐこさんのタイムライン

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-06)

仕事で名古屋市の末盛城趾近くに行った後、散歩してきました(^^)
ウロウロしてたら、織田軍の鉄砲演習所だったとされる鉄砲板池のことを記した案内板を見つけました。団員になってから、案内板と見ればとりあえず読む癖がついて感謝!(^^)
末盛城とは近いけれど、織田信秀は1551年に亡くなってるから、信長か兄弟が鉄砲の演習をさせていたのかな‥。村木砦の戦いでは早くも鉄砲を多用していたというし、なんだか織田軍の強さを垣間見た気がしました。
先日行った菊川市の横地城でも軍事訓練の谷、みたいなのがあったし、鷹狩りやシシ狩りだけじゃなく色々鍛えてたんでしょうね。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-01)

今日は滋賀県信楽の小川城に行ってきました。以前より団員さんの紅葉写真を見たり、神君伊賀越で行きたかったお城です。紅葉にはフライングすぎ‥ですが^^;
小川城は城山城、中の城、西の城と展開していてそれぞれの遺構が楽しめました。城山城から居館跡とされる中の城への城道が完存してるということで通ってみましたが、尾根道の城道は堀切がたくさんあってすごく楽しかったです!高低差10メートルくらいのエグい薬研堀もあります。西の城のほうが城山城より大きいし、技巧的な感じも受けるのですが、城山城の方は礎石建物跡や石垣があったり、眺望がとてもよく、やっぱり中心のお城かな?という印象を私は受けました。
家康一行が一晩過ごしたのはどの曲輪かな?って思いながら回りました(^^)

その後小川城から少し南に行ったところにある多羅尾代官陣屋跡が秋の公開期間だということで、訪れてみました(^^)
多羅尾氏の旗本屋敷兼信楽代官所で、建物こそ残っていませんが、綺麗に整備されていて石垣や庭園跡も残っていてとてもよかったです。土塁の残る砦跡にも登ってきました。公開は11月30日まで、きれいなカラー冊子までいただけます。
写真は多羅尾代官陣屋跡の番所下石垣。切込みハギのキレイな石垣です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-29)

今日は静岡県菊川市の横地城、堀田城、高天神六砦の獅子ヶ鼻砦などに行ってきました。
今年のクマ問題(ざっくり琵琶湖大橋より南の緯度では滅多にいない)と聞き、寒くなるまでは参考にしています。ニホンカモシカには今日も二頭会いましたけど^^;
横地城は紹介文には(遺構はわずか)ってあるんですが、結構色々残っていると思います。本城は各尾根の先それぞれに堀切まであるし、一城別郭で三つのお城を楽しめるのでおすすめです。それに、地形的に武田や徳川により進化する前の高天神城はこんなじゃないかな〜。今川義忠に落城させられたけど、横地城の残党が彼を横死させ、歴史の流れもきっと変わったでしょうね。
高天神城六砦の獅子ヶ鼻砦からはめっちゃ高天神城がよく見えました。武田方の兵糧入れわ遮断するのに活躍した砦だそうです。

写真は団員さんも話題にされてた、黒田代官屋敷です。黒田氏は勝頼が高天神城を攻めた際の守将の1人でした。水堀や長屋門などがキレイです。菊川市は最推しみたいで、道標が多かったです(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-24)

朝少し畑を手伝ったあと、三重県の柏原城などに行ってきました。
第二次天正伊賀の乱で各地から集結した伊賀衆と織田軍の最終決戦地となり、山崎の戦い後も伊賀衆が柏原城を奪って籠城したり、(ザ・抵抗)イメージのお城です。シンプルな単郭のお城だけど、横堀が深く、切岸も垂直。横堀のコーナーは落とし穴とも言われていて、水が溜まってる箇所もあって(怖〜^^;)
主郭周りの高い土塁は凹があって、破城の跡とか色々説があるみたいです。見てみると私は石落としとか狙撃とか出撃ポイント説かな〜と思いました。
そのまま東尾根をてくてく歩くと、滝野氏一粟の墓地があって、また重厚な土塁囲みの滝野氏古城がありました。東側の土塁は特に高くて、古城といえどもこちらも東の防御となってそうでした。
帰りに名張藤堂藩の名張陣屋跡に寄りました。女性の案内の方がとても詳しく解説してくださり、のんびり見学しました。
小藤堂とも呼ばれ才覚ある藤堂高虎の養子高吉さんの波乱万丈の人生(なんか聞いたことある、くらいでした^^;)を知って、思いを馳せました(^^)
写真は主郭東側の横堀です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-20)

風邪も滅多に引かず頑丈だけが取り柄な私ですが、一昨日の夜中(なんか熱い〜?)初めてインフルエンザにかかりました^^;
一昨日見た名古屋城、やけに美しかったんだけど‥
幸いコロナにも感染したことがないのですが、一日くらいはウイルスに蹂躙されてるみたいになるんですね〜。
すっかり今日は元気、来週は山城に行きたいな。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-18)

仕事の後名古屋城に行き、城宝館の(家康と名古屋東照宮)展をみてきました。名古屋東照宮所蔵の家康自筆の文書や義直直筆の家康肖像画、東照宮祭関連の展示でした。
面白かったのは駿府から江戸への旅行日程を記した家康の文書で、道すがらや江戸到着後の各所で鷹狩りをやる予定の場所が記されているものです。真面目に視察の意味もあったかもしれないけれど(鷹狩り愛すごい!でも旅行とか帰省に攻城を捩じ込みたい自分みたい)と親近感です^^;
そして江戸時代初期から行われていた名古屋東照宮祭が、明治維新後は市民の祭りと形を変えて名古屋祭りとして親しまれてることを初めて知りびっくりしました。名古屋祭りは今週末、三英傑の行列や山車揃えがあります。名古屋城や徳川園などのたくさんの施設も無料開放になります。
今回の展示は入り口で申し出ると解説目録を無料でいただけるのでオススメです。
今日は秋晴れの晴天、キンモクセイもほのかに香るし、ごきげんで散策してきました(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-11)

今日は佐柿国吉城、金ヶ崎城に行ってきました(^^)
子供の頃はよく若狭湾に泳ぎに連れて行ってもらってましたが、日本海を見ること自体が10年以上ぶり^^;城址から見る青い日本海に感激です〜
国吉城の連郭式曲輪群は今まで自分が見たことある、近江のお城のものより、切岸がめっちゃ垂直に聳えている気がしました。越前朝倉勢を相手に数年に渡り籠城戦を繰り広げ、一度も落城しなかったとはすごい!若狭湾だけじゃなくて、市街地などもよくみえて、敵の動向に早く対応できそうかと思いました。(徳川家康ゆかりの地)を推してました(^^)

金ヶ崎城から天筒山城間に、先週の金曜日ツキノワグマが昼間に出たみたいで、地元の方にすごく止められ、天筒山城へいくのはやめておきました。(カニヶ崎におりゃしゃーす♪)と歌いながら金ヶ崎城を攻城しました。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-05)

今週から新米に代わったのでご飯がすごく美味しいです。昨日はチゲにしたのでお代わりまでしてしまいました〜^^;
というわけで、今日は前に団員さんも紹介されていた箕作山城と観音寺城の城山を縦走するコース(六角氏による信長上洛の防衛ライン)に行ってきました(^^)
箕作山城は防衛ラインと謳っている割に遺構としては小規模です。でも箕作山城北の口にある案内板には、信長合戦史上最多の戦死者を出す合戦だった(ルイスフロイス日本史より)と書かれてあり(城山全体でゲリラ戦があったのかなあ、甲賀忍者〜?それか遺構が失われたのかなあ)とびっくりです。近くのお寺に合戦屏風図もあるということです。
観音寺城は2度目だけど、今回は大土塁周辺を重点的に見学しました。大土塁上の最高地点の曲輪にまでりっぱな石垣があって(やっぱり100名城やなあ〜)
縦走中でしたが、やっぱり大石垣に寄り道してしまいました。青空✖️石垣はやっぱりステキですね。写真は観音寺城の大石垣ノ介くん。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-29)

今日は京極道誉本拠地の勝楽寺城と近くの湖東のお城に行ってきました。
勝楽寺城は尾根のピークを曲輪にした室町期のシンプルなお城の感じですが、主郭だけは戦国期に改修されているのか石垣や石垣痕がよく残っていて(六角氏っぽい?)登城道や城域の西側斜面は竪堀群が見られました。
居館跡の麓の勝楽寺には戦国時代以前からの六脚門と道誉の大きなお墓があります。
ちょうど10/1が道誉没後650年記念行事で、彼の得意とした狂言や香道が催されるそうです。戦国時代よりも200年も前の人かぁ、と思うと先取った?生き方やなあと思います。
そして勝楽寺までアクセスする道中には、勝楽寺城の前衛の城の尼子城(尼子氏発祥の地)があったり、街並みも美しい藤堂高虎出生地を通り、楽しかったです(高虎Tシャツ着たおじいちゃんがいた!)
帰りはちょっと違う道で帰り、豪商や近江商人を輩出した街並みを通り、湖東は昔から肥沃でリッチやったんかな、という印象を受けました。
写真は勝楽寺城の(上臈落とし)というなんか怖そうなネーミングの曲輪からの景色。彦根城も目視では見えます。道誉も眺めたかな。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-26)

今日は福束城趾など西美濃攻城に行ってきました。
最近この辺りの関ヶ原前哨戦関連のお城をよく回ってたので偉そうにスミマセンが総括的に感じた事なんですが‥^^;
木曽川、長良川、揖斐川という大河が西軍にとっては防御力ある堀代わりとも言えるのに、これを通過させた時点で勢い負け、若しくは戦略負けだったんじゃないかな〜って気がしてきました。それぞれの渡河地点で寡兵でも善戦しているけれど‥。
写真は、城趾で掃除しているおばあさんに(こんな淋しい所じゃなくて、ヒガンバナ見てきな)と勧められた、津屋川のヒガンバナ群生地。まだ蕾もあるようでした。団員さんのメモを見て訪れたかった図書館に行ったのにお休みでしたが、いい時に来たと思えました(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-21)

昨日は友達と駿府城や久能山東照宮など静岡散策してきました。
去年だいたい同じコースを回りましたが、今回は久能山東照宮博物館にも寄りました(^^)
金陀美具足こそ傷や使用感はあるものの、15代将軍の使用感のない甲冑が並んでいる中、島左近の古い兜が圧倒的に目を引きました。島左近が関ケ原の戦いで東軍家康の家臣・戸川達安に討たれた際、達安が戦功を残すためこの紺絲威兜を持ち帰ったとされるそうです。
駿府城は団員さんのメモをみて、県庁別館の21階展望ロビーから俯瞰しました。東御門の桝形や発掘調査中の場所もよく見えるし、堀が埋まっている箇所も俯瞰する事で(こんなふうに繋がってたんやろな)と想像でき、すごくよかったです。ちょっと違うと思うけど天守の最上階、約30メートル感を共体験。
曇天でしたが、心の目で富士山も見えました^^;
この県庁別館は外からは一見、警察関係のビルのようにしか案内されてないので、悪い事してないのにちょっと恐る恐る入りましたが、空いているし空調完備ですごくおすすめです。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-19)

今日は朝、雨模様だったので、岐阜県羽島市等の街攻城をしてきました。天気を見て変更したので準備不足でした^^;

移築門があるお寺をまず訪ねたのですが(アレ〜?そもそも山門ないやん^^;)‥調べると2キロくらい離れた同名のお寺に間違えて来てました。
気を取り直してそのお寺さんにお参りしたら(鎌倉期からの大きな寺院で戦国期に衰退したが、貴重な蔵経があることから家康&天海が自らそれらを見に来て、寺を尾張名古屋に移転させ、大須観音となった)と書かれてあり、びっくりしました。
(しかし家康&天海、なんか暇やな‥)とは若干思いましたが、行き当たりばったりの儲けもんは嬉しいな(^^)
この辺りは、地理的なこともあって関ヶ原前哨戦などの色々な合戦と城主&お城が関連していて面白かったです。
写真は間違えて行った真福寺。円空上人生誕地も近いです。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-17)

名古屋市内の山で土橋〜?みたいな感じの写真ですが、爆弾が隣接して落ちた為の戦争遺構です。暑いのにアホですが、山中を探し回ると10個くらい跡が見つかりました。

常々人力の築城は大変だろうな〜、堀切造り体験とかしたいなあ〜、と思っていましたが爆弾の力は恐ろしいですね。爆弾跡の周りは土塁の様に盛り上がり、100年近く経っているのに土はすり鉢状に深くえぐれたままでした。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-16)

今日の名古屋は猛暑日、仕事も野外だったので暑かったです。総会があった京都も猛暑日だったみたいですね^^;
一乗谷朝倉氏遺跡博物館に行ったお友達からブックカバーいただきました。いろんな朝倉氏と関わりある人が描かれていて、面白いです。ユダポジションはたぶん景鏡ですね。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-14)

朝夕涼しくて少し秋を感じますね〜。夏の攻城も青空がステキですが(秋冬になったらあの山城行こ!)という候補がスタンばっていて楽しみです。
今日は関ヶ原合戦・島津の退き口ルートの史跡を通りつつ明智光秀出生地の候補の一つ、多羅城等に行ってきました。
関ヶ原合戦での島津軍の敵中突破はざっくりとは知っていましたが、捨て奸の小部隊は敵中突破で先鋒だった島津豊久隊の後、本戦の前々日に薩摩から大垣城に駆けつけてくれた長寿院盛淳の部隊もあったことを知りました。
捨て奸の部隊は大将の義久を逃すだけじゃなく、追撃部隊の松平忠吉や井伊直政を負傷させ、本多忠勝の愛馬を仕留めてその足を止めてまでいたことも驚きです(スナイプ力すごい‥)
峠を越えた(とされる)豊久ですが、力尽き、白拍子谷で自刃したとされます。その辺りに明智光秀生誕地と伝わる進士家の居城・多羅城の候補地とされる、上石津周辺の山城などがあり回ってきました。
小さい単郭のお城で、詳細が不明なんだそうですが、遺構はよく残っていて、横堀や堀切など見応えがありました。でもこの時期はゲーター必須レベルで山ビルがいました。

上石津郷土資料館には、敵中突破を決めた時の義久の句がありました。
(いそぐなよ また急ぐなよ世の中の 定まる風の吹かぬかぎりは)
こんな事を言えるのは命を捨てる覚悟の部隊があってこそだとも思ってしまいますが、(西軍は大敗したけど島津の運命はまだ決まっていない、活路を見出そう‥というこの執念みたいなのもなくちゃアカンかったやろなあ、やっぱり大将やな)と思いました。
写真は白拍子谷。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-13)

名古屋城の城宝館の展示が替わったので、仕事後行ってきました(^^)
展示は(文化財を受け継ぐ)で、刀剣や名古屋城の古写真、上洛殿の天井板絵などの展示がありました。
(文化財を受け継ぐ)っていう視点から刀などを見ると、驚くほど古いものなのにいつもピカピカに展示してあり(細心の管理や手入れをされてるんやろな)と思えます。綱吉から柳沢吉保へ下賜された刀などがありました。週末は刀剣保存協会の方の解説などもあるようです。
お城もそうだけど、良い状態で保存や管理されていても経年劣化はあるし、ケアしたり修理してもらっている事ってありがたいなあ、と改めて思いました。
名古屋城の明治時代の版画があったんですが、三の丸にあった名古屋東照宮も載っており、今とは異なる豪華な権現造りな姿でした。豪華な名古屋東照宮の建物は戦争で焼けてしまい、今三の丸外に隣接している東照宮は万松寺にあった初代義直の正室春姫さんの霊廟なんだそうです。帰りに寄ってきました(写真) 
東照宮といえば、近々友達と駿府城&久能山東照宮へ行きます。ロープウェイに乗るし、再訪ですが楽しみです(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-08)

先日行った大垣北方面の街攻城第二弾に行ってきました。
はじめに行った曽根城は第一弾に続き稲葉一鉄の居城でした。曽根城を訪れた信長は一鉄&孫に能のおもてなしを受けて、とても喜ばれたそうです(きっと孫に能を頑固一徹に仕込んだんや‥^^;)

この辺りを攻城していると、チラホラ関ヶ原合戦の話が出てきます‥曽根城は関ヶ原合戦時、西軍の島津義弘に攻撃を受けたことから、東軍の水野勝成が入ったと案内板にありました。また、少し西の瑞雲禅寺というお寺の住職が、行軍休憩中の家康に大きい柿を進呈して(大柿‥大垣城‥を得たり!)と喜ばせたそうで、その柿の木も見てきました(^^)
行くつもりはなかったのですが、この流れで関ヶ原合戦家康赤坂本陣跡へ行きたくなってしまいました^^;
行ってみた赤坂本陣跡は広々とした削平地で高台ですが、結構荒れてしまっていて、眺望が得られなかったです。でも、ここで杭瀬川の戦いを見物して爪を噛んだり、合戦前仮眠したりしてたのかな‥妄想。
家康本陣跡のすぐ北側にはお茶屋屋敷跡があります。公園化されていますが、土塁や空堀なども残り、雰囲気も良くオススメです。勝利をおさめた関ヶ原合戦本陣前のお茶屋屋敷に泊まって、家康さん、秀忠さんは何を思ったのでしょうか。
写真は関ヶ原合戦赤坂(岡山)本陣。小さい石碑だけあります。木々がなければ関ヶ原方面もよく望めるはずです。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-07)

昨日の夕方の東海道宮の渡し(ここ、どこやねん?)な風景でした。
で、今日はいい天気すぎるくらいです^^;
まだ残暑厳しいですが、堀川沿いでヒガンバナ咲いてるの見つけましたよー

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-03)

今日は頑固一徹、の稲葉一鉄の清水城(岐阜県)などを回ってきました。散策中、いくつかお祭りも見かけました。
姉川合戦で信長が兵を貸そうとした際、家康が(一鉄ひとりでよい)と言って、それに応える働きをしたエピソードとか、好きです(^^)
清水城趾は小学校になっていますが、一鉄お手植えのハナノキがあったり、清水城の前の清水古城の石垣を壊して築いたという石垣が城趾碑の下にあります(夏季のため草多めですが)
春日局の外祖父でもあるので、ここで成人まで彼女を預かって養育したとも。菩提寺も近くにあり、花がとってもキレイでした。
壊して石垣を持ち出したとされる、清水古城も登ってみました。曲輪や堀切があり、時代はわかりませんが石垣が残っている箇所や、石垣が持ち出されて石垣の裏の小石がちらばってるのかなー?という斜面がありました。情報が少ないし、私では諸々判断しかねつつも、楽しみました(^^)
近くの陣屋跡では移築門探しも楽しみました。やっと見つけたのに、軽トラがガッツリ停まっていて、(‥‥^^;)となったりしましたが、これも一期一会ですね。
写真は一鉄夫妻や父のお墓のある月桂院です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-08-30)

昨日はラン友さんとJR中央線の南木曽駅から中津川駅まで、妻籠宿、馬籠宿を観光しながら走ってきました。
私は妻籠城、馬籠城へ寄り道。2城とも、割とすぐに回ることができ、団体行動に支障なく、今日の行程にはピッタリでした(^^)そして私は長野県のお城、初攻城でした。

前半の妻籠城までは、木曽義仲旗揚げの地や巴御前袖振りの松などがありました。袖振りの松は、義仲が弓を引くのに邪魔な為、巴御前がなぎ倒した松から出た新芽が大きくなったものだったそうです。今は違う木ですが(男前やなあ)と巴御前に思いを馳せました。
妻籠城では小牧長久手の戦いの局地戦が行われていて、豊臣についた木曾義昌方が徳川軍に煮え湯を飲ませています。
また、1600年関ヶ原の戦いの際には、第二次上田合戦で遅延していた徳川秀忠や榊原康政がここで東軍勝利の一報を受けたんだそうです。勝利に安堵の気持ちはもちろんあっただろうけど、ヤバ〜^^;って気持ちもあっただろうな。出産に立ち会う約束していたのに仕事で間に合わなかったお父さんの心境?^^;
登城口には真新しい(クマが最近出没しました)の紙が吊るしてありました。クマザサが繁りすぎて、技巧的そうな遺構はほぼわからなかったので、また別シーズンに行こうと思います。
(秋に来て、栗きんとんも買いたかったな)と内心思っていた私でしたが、中津川に着くと、もう今年の栗きんとんが発売されていて、買う事ができました(^^)
写真は妻籠宿にある鯉岩(中山道名物)。木曾義昌がこの辺りで砦を築いている時、ここで武将が娘に恋を語っていたということです(めっちゃサボってるやん^^;)今は崩落していますが鯉の形の岩だったみたいです。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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