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走る歴女です。

ぐこさんのタイムライン

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-03-12)

26年大河ドラマが(豊臣兄弟!)なんですね。今から楽しみです。
それまでに豊臣縁のお城巡らないと〜☺️

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-03-10)

今日は静岡県蒲原城に行ってきました。今川・北条・武田の攻防の城で、信玄公が(海道第一の城)(海道一の険難の城)と戦勝を誇ったと言います。
岩盤を断ち切った空堀など、遺構も良いですが、駿河湾・東海道、富士山が見渡せて、絶景でした。(信玄さんは富士山は見慣れてるかもしれないけど💦)

私は、北の搦手から本丸まで行って、麓の大手から三の丸(広く耕作地になってる)と二の丸(密な薮)下へ行き、東の山にある狼煙台に行きました☺️

武田の駿河侵攻時には実質的には北条の城になっており、武田の総攻撃で北条新三郎氏信(幻庵の次男)らが討ち死にしています。
寡兵の北条は大手側と搦手側に兵を分けていましたが、武田が大手側に大軍を布陣させたため、北条は大手側に兵を移動させてしまったそうです。陽動ですね。
ところが搦手には勝頼軍を潜ませていて本丸がすぐ制圧されてしまい、主だった武将も討ち死。

攻城してみると、大手側は本丸まで比高がかなりあり、高速道路で消失した砦もあったそうですが、搦手側は堀とかはあるけどあまり比高がなくすぐ本丸。ドンピシャな作戦だと思いました。大軍とはいえ、地形を見て効率良く勝ちを収めているようで
(うわ、信玄さんスゴ〜)を体感しました。
写真は逆茂木が並べられてる善福寺曲輪。いいですね、逆茂木。すり抜けたつもりが、いろんなところが引っかかってしまいそう💦

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-03-05)

今日は飛騨のお城、初攻城。飛騨松倉城、高山陣屋に行ってきました。
雪は午後からの予定が、松倉城趾では昼前からもジャンジャン降って、道も遺構も分かりにくかったですし、眺望も一面ホワイトでした。隅々までの見学はまたの機会ですね☺️

でも高石垣✖️雪がとても素敵。(こんな標高で400年も風雪に耐えてきたんだぜ)感がありました。いや、残っててありがとう、と言いたくなりました。
また、このお城が三木氏の夏城(避暑?)って言われるのがよーく体感できました。寒かった〜。
実は高山はちょっと懐かしく、学生時代の長期休みは、御嶽山の登山口の温泉宿で働かせてもらって、高山も遊びに行ったことがありました。でも陣屋は中へ入ったことがなく(朝市の場所)という感じでした。
高山陣屋は外観も良いですが、陣屋内や蔵の中の展示がとても面白かったです。白くない河原石の白洲に、拷問道具も展示してありビビりました。
写真は飛騨松倉城本丸外郭南西面の高石垣です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-03-04)

仕事の後ダッシュして、梅✖️名古屋城を観てきました。
団員の方々の、梅と名古屋城天守の写真を拝見して(あぁ、私年パス3年目なのに梅咲いてる時行った事ないやん)と思い至り、
(もう梅、終わりかなー?)と思いつつ行きました。
よく咲いていて、紅梅などはまだ蕾が多いくらいで、楽しめました☺️
ただめっちゃ強風で、
梅の花 春風強く なほ匂いける
って感じでした💦
それから、土曜日から椿展も始まっていたのでそちらも観てきました。鉢に入った大小の椿、生花の椿、一輪挿しの椿などいろいろ美しかったです。
たくさんの一輪挿しの椿の奥に、金森長近の孫で茶人・金森宗和が書いた(椿についての手紙)が展示してありました。
椿についての内容が超マニアック、椿について語りすぎでびっくり(織田有楽斎の大草城の奥にも有楽椿の木があったけど、茶人は椿好きなんかな?)
一輪挿しを観ていて、椿は一輪でも存在感あるのが、簡素な茶室にいいのかな、と思いました。
この金森宗和さん、大阪の陣で徳川方につく父・可重を批判して勘当されてしまったとのことだけど、茶道で大成して、子孫は加賀藩に仕えたとのことでした。
椿の俳句を捻りながら帰りました💦

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-28)

今日は朝イチ仕事が終わってから木曽川沿いを走って街攻城してきました。
無計画に攻城したので全然一筆書きに回れず、何度もいろんな橋をわたる事になってしまったのですが、オマケがついてきました⭐️

橋があるところには、渡船場跡の史跡標柱がほとんど立ってます。木曽川の流れはすごく変化しているだろうに、渡河しやすい川の流れがゆるやかな地点や、川幅が狭い地点ってあまり変化なくて、今に至るまで橋がかかってるんだなあ、とまず感心してしまいました。
と同時にそうした渡河地点は軍用になったようで、木曽川合田渡船場は関ヶ原前哨戦の河田木曽川渡河の戦い、手斧猿尾渡船場あたりは米野の戦いがあったと案内板がありました。
三つのお城を攻城してきたんですが、お城はいずれも橋に近くて近くに渡河船場があったりしました。こうした川の近くのお城は水運などを抑えてるんですね。
写真は米野の戦いの案内板。この戦いを攻略した池田輝正らが福島正則らの軍と合流し、岐阜城攻めに進んでいきます。織田秀信は東軍の渡河地点がどこかを迷い兵を分散させすぎたとのこと。地形を制するのもきっと大事ですね。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-27)

今日は、両親の結婚記念日プチ旅行に半日お供して長浜盆梅展などに行ってきました。
盆梅はちょうど見頃が並べられ、会場のゴージャスさも相俟って(艶やか)って言葉がピッタリでした。香りも良くてうっとり。樹齢400年の古木なのに可憐なものもあり、びっくりでした。
会場の慶雲館は、明治天皇と皇太后の行幸啓のために建てられた長浜の迎賓館で、伊藤博文の命名なんだそうです。国名勝指定の池泉回遊式庭園はダイナミックな感じ、長浜城攻城の際のお立ち寄りにもオススメです。
2階でお抹茶と梅の和菓子をいただき、長いこと喋りすぎて長浜城は眺めただけになっちゃいましたが💦

お昼すぎに落ち合ったので、午前は鳥羽上城をダッシュで攻城してきました。
江北エリアのお城は好きだし興味があり、前から(なんで鳥羽なん?)とそのネーミングが気になっていたお城ですが、鳥羽上庄がおかれ、後鳥羽上皇にゆかりのある荘園があったとのことです。
城趾は周囲の山城から長浜城、彦根城の建物もよく見える見晴らしの良さがあり、間道の監視などの為の江北防衛ラインの城砦だったとされるのも納得です。尾根上の狭い曲輪で遺構は薄い感じもありますが、犬走りかな?と降り立ってみると、しっかり帯曲輪の広さがある箇所もあり、八講師城など米原周辺の京極氏のお城感がありました。
両親は明日はミーハーに石山寺や坂本に行くみたい。いいなあ😅
写真は鳥羽上城趾と伊吹山です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-18)

今日は甲賀群中惣遺跡群の城館、新宮城等を巡ってきました。
いつも攻城は(自己満足的じっくり派)ですが💦この辺りはギュギュッと城館が密集していることもあり、小雨にもかかわらず自分史上最高の7城攻城できました。未登録も入れたらもっとかな。
新宮支城の土塁などはホントに高くて、今日こそは高土塁に迫られる夢を見そうです。でも、どのお城もそれぞれ個性があり面白かったです。
この辺りの城館はそんな高い土塁囲みばかりで(古琵琶湖層群の粘土層だから加工しやすい)という説明がありました。それに加えて、実際に土塁に登ってみるとその粘土っぽさがメッチャ登りやすいので、それって防御的には✖️だから、高くしたんかなー?と感じました。
帰りに甲賀武士縁のお寺、伏見城籠城戦で討死した甲賀武士のお墓がある慈眼寺に寄りました。
(家康は関ヶ原合戦後、甲賀衆の働きを認め、戦死した者の子弟を取り立て甲賀100人組をを組織した)とありました。
伏見城籠城戦については(西軍で甲賀郡水口城主の長塚正家が甲賀衆に恩賞で内応を誘い、甲賀衆が城に火をかけて西軍の兵を城内に引き入れたので、たちまち城は陥落してしまった)と見聞したことがありましたが、後の処遇がリアルなのかな〜。
写真は東側に池が隣接していて東の防御と水の手はバッチリそうな寺前城・村雨城遠景です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-07)

今日は三重県の北畠具親城や下山甲斐守城(奈垣)にいってきました。
(ぐこ)のぐ、繋がりで北畠氏のお城は気になっていて、ちょこちょこ攻城しています。高貴な北畠氏とは縁もゆかりもないですけどね💦
北畠具親は具教の実弟で、興福寺で僧籍に入っていました(足利義昭と一緒だ〜)。しかし織田による具教ら一族の暗殺・落城を受けて、北畠氏再興を目指し、その拠点の城が北畠具親城だそうです。周囲には旧家臣の城館群があり、総構えのような体制をとっていました。
結局は織田方に負けてしまいますが、備後の鞆に落ち延び(義昭と一緒だ〜💦)本能寺の変後は五箇篠山城でまた再起を目指したとのこと。

北畠具親城は冬季でも薮になっているし、動物も活動してますが、広大な連郭式のお城で、土塁・堀切などの遺構が鋭く残っていて、私は大満足でした。多少の薮は構わない方には、おすすめのお城だと思います。主郭部を離れても堀切などがきっちり作られています。
暫定登録の下山甲斐守城(比奈知)は私有地で立ち入り禁止ですが、本城の下山甲斐守城(奈垣)は、北畠具親城の近くなので行ってみました。
下山甲斐守といえば、早くに織田方についた裏切り者イメージがなんとなくありますが、具親の再起も助けていたようで、したたかな戦国時代の郷士らしいなあ、と思ってしまいます。
広い屋敷地の奥に高土塁の方形の詰城があり、虎口などは(馬出し)っぽくなっていたり面白かったです。
写真は北畠具親城のⅢ郭東の堀切です。深い堀切に落とし穴みたいなのがあり(怖〜!)でした。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-04)

おばあちゃんの畑の手伝いとおしゃべりが長引き、少しだけ菰野城などに行ってきました。
菰野町が信長の孫娘・八重姫を推していることは小耳に挟んだことがあり、興味は持っていたのですが、特に菩提寺などは思ってた以上に案内板も豊富で、楽しい散策になりました。

八重姫は織田信雄の娘で、重臣の土方雄久の息子雄氏の室になっています。
戦場や江戸に出ることが多かった雄氏の代わりに藩政を支え、長寿であった為3代藩主まで見守ったとのことです。
お墓も参ってきました。院号が玉雄院で、父・信雄、夫・雄氏の字ではあるけれど、彼女自身も雄々しい方だったんじゃないかと勝手に推測してしまいました。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-31)

今朝の雲。
見上げていたら畝状竪堀群が見たくなってしまう💦

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-30)

今日は甲賀の城館を巡ってきました。
草津線油日駅で降りるとビックリ🫢(狸親父さんのアイコンの忍ダヌキだ!)駅のホームで茶色と黄色の忍ダヌキが出迎えてくれました。写真は黄色い子ですが、上目遣いでとてもかわいい!
和田城は戦国時代には和田惟政を輩出している和田氏のお城で、一条院覚慶を匿った和田公方屋敷跡など川沿いに支城がワラワラあります。どこも看板が見つけやすくて地図がなくても散策できました☺️
和田城の土塁は高いだけじゃなく、建物がガッツリ建てれそうな広くて平らな辺や箇所があって、やはり本城感がありました。支城の中では和田支城跡Ⅱが堀切も深くよかったです。
支城同士は数100メートル毎にある感じで、各お城の防御力とかはあまり強くなくとも連携して防御していたのかと想像してしまいます。
甲賀上野城は虎口がトリッキーでよかったです。
和田城と支城群、甲賀上野城を巡ってきて、高い土塁に迫られる夢を見そうな(高土塁祭り)な1日でした。
帰りに車窓を眺めていると関西線柘植駅の手前で(ようこそ伊賀の里へ)のような看板が見えました。伊賀と甲賀の境辺りなんですね。
今日もらったパンフレットによると伊賀と甲賀の忍者の違いは組織、戦術、仕事の形態の違いなんだそう。俗にいうようにいがみ合ったりしてなかったんですね。そうなんだ〜ニンニン‥💦

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-26)

今日は暫定登録の愛知県の広見城などに行ってきました。ジブリパークの近くです😃
広見城は三河国にありますが、織田信長家臣・中条秀正のお城です。付近は徳川側のお城も多く、きっと尾張と三河の国境バチバチのポジションだったと思います。
中条秀正は(←恥ずかしながら全然知らなかったのですが)少なくとも清洲織田軍を負かした(萱津の戦い)から織田信長に仕えている古参家臣。萱津の戦いでは柴田勝家と共に坂井大膳の首を切ったといいます。
大河内城の戦い、姉川の戦いから、比叡山焼き討ち、長島一向一揆攻め、雑賀攻めなど数々の合戦に従軍しました。派手な活躍はなくとも、いい働きする不可欠な人だったのかな。
秀正は本能寺の変前に亡くなられていますが、中条家は信雄に仕えたそうです。

お城は城域も広く、曲輪数もとても多く、堀切、竪堀、石積み(少し)があり、一騎駆けや巨石が通せんぼ?の道もあったりでとても散策が楽しかったです。(やっぱり安定の頼れる家臣で、国境を任されていたんかな)と感じました。
尾張はもちろん、三河の山城にしても大きくて面白いお城で、暫定登録していただいて行けたことに感謝です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-25)

少し積雪があり、仕事も昼前からだったので(雪化粧の名古屋城天守)に期待して朝イチ行ってみました。
(瓦も白くなってるといいなあ〜❤️)
結果は(名古屋城天守と雪化粧の植栽たち)って感じでしたが、寒椿の赤が綺麗でした。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-24)

今日は名古屋も雪がちらついていて、とても寒いです。
けど、年末に少し割引で買ったダウンパンツをデビューさせようと朝から楽しみでした😊
すごく暖かくて、動きやすく快適。職場に着くなり暖かさを自慢してしまいました。

店頭でマネキンが白いダウンパンツを履いているのを、冬の初めに見かけたのですが(マネキンはいいけど、ベイマックスかビバンダム君になっちゃうやん)と内心思っていたのですが、年末に期間限定の割引を見かけ、ブラックを買ってしまいました。
格闘技やらなんやらでムキムキ脚なので、心配していましたが、うまく作られていてキレイ目にも着れそうです。
調べるといろんなところでダウンパンツが出ていて、男性用もあるみたいです。
薮のある山城では破けそうですが、冬の街攻城や自転車攻城におすすめしたいです。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-19)

今日は仕事の後ポカポカ陽気だったので、名古屋城に行き、城宝館の(家康の謎・名古屋城本丸御殿の黒木書院)を見てきました。

黒木書院は上洛殿より奥向きの御殿で、二部屋のみの小さな建物、襖絵も水墨主体の地味な感じです。時々御湯殿御殿と共に公開されていることがあり、私も入ったことがあります。あと、実は(すすはらい)で黒木書院の松の柱を磨いたこともあります😅
(絢爛豪華な上洛殿から出て、足を崩して?ホッとリラックスする場所かな)というイメージが湧きました。

襖絵は画題も古様かつ伝統的だそうで(清洲城にあった家康の宿舎)の移築、っていう記録も残っているとのこと、それを踏まえて展示を見るととても楽しかったです。
義直が家光専用の上洛殿の最奥に(家光が心酔する家康の宿舎)を移築して作ったとしたら、最高のおもてなしも感じるし、ドヤって意気込みも感じてしまいました。
同じく清洲越しの伝えがある西北隅櫓についての展示も多く面白かったです。
で、写真は帰りに見て帰った西北隅櫓。やっぱり櫓にしては規模が壮大といってもいいのかもしれないなあ。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-17)

今日は畑を手伝った後、クノイチ電車(伊賀鉄道)に乗って伊賀丸山城に行ってきました。
行きはピンクのクノイチ電車に乗ったのですが、座って上の棚を見上げると(誰かピンクのジャンパー忘れてはる?💦)‥よく見るとピンクのクノイチが真上にいました。

第一次天正伊賀の乱の舞台の伊賀丸山城は伊勢の実権を握った北畠信雄が伊賀侵攻のため滝川雄利に修築させた城です。
行く前に縄張り図を見ていて(大規模やし、伊賀のお城にしては異質な感じの縄張りやな)と思っていたのですが、元は北畠具教が築城途中だった隠居城だったと知ってなんだか腑に落ちました。
築城の妨害目的だったんでしょうか、伊賀衆からの攻撃を受けて丸山城は完成途中に落城してしまい(天正伊賀の乱)勃発となりました。
その後、織田軍により伊賀衆が制圧されると滝川雄利が城主となっています。

城域は広く大規模で、やっぱり織田!感のある大きい天守台があり、見所だとおもいます。(信雄様、まず天守台はバッチリ作りました〜!)って感じがします。
でも(北畠氏の築城途中)➕(滝川氏の築城途中の落城)の影響なのか、大きいのに防御が手薄で、中途半端な感じがしました。そして、やたらめったら櫓台跡があるから、神出鬼没な伊賀衆のことをめっちゃ警戒してるんかな、って感じがしました。
冬季でも薮が多く、写真を見るとガッカリしますが、城域が広く出曲輪なんかもいくつかあるのでとても楽しめました。
写真は主郭北下の横堀。東下の方は土塁の大きい二重の横堀があります。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-10)

今日も静岡県2レンチャン、勝間田城と小山城に行ってきました。
勝間田城は団員さんのメモを参考にさせてもらい冬季なのと、整備もあったのでしょうか、五重堀切などの遺構が見やすくてとてもよかったです。ありがとうございます。
各尾根の先を丁寧に堀切で断っているところなど、近くの横地城と似ている点が多いなあ〜と思っていたら、横地太郎家長の次男が勝間田氏を継いだと言われているとのことでした(やっぱりお城にカラー出るんやね)
横地城も勝間田城も文明年間に今川義忠に落城させられていて、なんらかの改修がその後入っているかもですが(戦国の初期なのにレベル高いなあ)と思います。

武田氏の遠州攻略の前線・小山城は、三日月型の三重堀のダイナミックさに驚きました。写真では三本同時に写せないです。
そして、往時はもっと深かったというから驚きです。
武田・徳川の小川城攻防の激しさは高天神城もびっくりですね。信康も大変活躍してた事を知りました。
今日の富士山は傘を被ってました👋

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-09)

今日は青春18きっぷで興国寺城などに行ってきました。
青春18きっぷは途中下車を沢山してもお得ですが、今朝は名古屋も氷点下だったから(あったかくなる昼までのんびり電車で行こう作戦)にしました☺️
今日は雲ひとつなく、車窓が素晴らしく、富士山慣れしていない関西人にとっては(ビューティフルフジヤマ)すぎて眼福です。

興国寺城は(北条早雲旗揚げの地)イメージでしたが、今川、北条、武田、徳川、豊臣などたくさん城主も代わり、改修して使われていた重要拠点だったのですね。
天守台に立ってみると、駿河湾や伊豆の方までよーく見渡せます。いろんなところからの狼煙なんかもよく見えそうなイメージ。(ここから国、興したるで)って気持ちになります。
本丸の土塁は今まで見たことがないくらい大きいものでびっくりしました。土塁の部分が元からの地形で、曲輪部分を掘ったのでしょうか。

犬の散歩中のおじさんがおられたので、薮となっている清水曲輪などを案内してもらいました。すごい薮でしたが。
新幹線の線路の南側は興国寺城の北曲輪や清水曲輪が面しているのですが、なんとなく凹んで見えるところが北曲輪の徳川期の三日月堀あたりだそうです。新幹線で通ることがあったらチェックしたいです。

帰りはすぐ近くの阿野全成の館跡にある大泉寺に行きました。全成、時元のお墓があり、公暁のものと伝わる位牌もあるんだそうです。住職さんがお話好きでかなり長くトークされ、楽しみました。
大泉寺は館跡だっただけあって、南面には土塁が残っているし、山門へもクランク道で(武者隠しなのか古いイチョウの木もある💦)周囲も興国寺城と同じく沼地だったようでした。
大河ではキュートな全成さんでしたが、富士川を挟んで平氏と対峙する前線を任され、できる男だったのでは、と思えました。
帰り道も雲ひとつなく富士山が見送ってくれました。

ぐこ

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-01)

あけましておめでとうございます🎍
攻城はじめはおばあちゃんの裏山つながりの采女城。
遺構が見やすいけど寒いのが難点な冬季ですが、暖かいお正月なのでウロウロしてしまいます。
元旦から団員さんが采女城の写真をあげてくださって、嬉しかったです。
今年もお世話になります。よろしくお願いします。

ぐこ

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-30)

あったかい年末で、なんだかうれしいですね。
夕方に彦根城に寄ることができ、今年の攻城納めとなりました。
空気が澄んで、周辺の山々にお城が映えていて、清々しい気分になりました。
彦根城はいろんな建物がお正月仕様になっていて目にも楽しかったです。
写真はしめ縄姿の天秤櫓。真ん中がダイダイの実じゃなく、でっかいユズみたいに見えました。
今年も大変お世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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