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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-09-16)
今日はJRハイキングで堂木山砦・神明山砦などへ行ってきました。
これらの砦は賤ヶ岳合戦の際の羽柴秀吉方最前線防衛ラインの一翼で、北国街道の西側の押さえとして余呉湖の北方を遮るように北東へ延びる尾根上に築かれています。
攻城団に登録されている田上山砦や東野山砦にもまだ行けてないんですが💦西側のこれらの砦も土塁も高く虎口が複雑だったりで面白かったです。やはり北側を意識した作りになっており、樹間からも他の砦のある稜線が見えます。
この砦群の尾根続きの高所に登ると茂山砦があります。
前田利家・利長親子は合戦当初、北方の別所山砦に布陣していたそうですが、佐久間盛政の進軍に合わせて南下して、この砦に布陣したとされます。
その地に立ってみて、羽柴軍の前線を押さえ、佐久間軍の背後を確保するために、ベストなポジションで前田軍は布陣してたんだけどなあ💦‥とよくわかりました。
下山には佐久間軍が行市山砦を出て、堂木山・神明山砦の西を下り、賤ヶ岳砦の下の大岩山砦や岩崎山砦を襲撃する際に下った(権現坂)を通りました。ここは前田軍が戦線離脱する際にも通ったとされます。
暑かったですが、臨場感があってすごく面白かったです🤭
前田軍も戦線離脱したとはいえしんがりを務めた武将さんがおられたそうで、墓所に寄って帰りました。
写真は堂木山砦の喰い違い虎口。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-09-11)
今日は越前大野城などに行ってきました。天空の城が恥じらうほどの晴天でした💦
先週、福知山城へ行ったので、安土城とざっくり同時期の信長家臣のお城の石垣が記憶の新しいうちに比較して見れてよかったです☺️
大ぶりで均等な感じの石材で、私的には見てて安心感がある感じでした。
どこでも美味しい清水が飲める城下町も暑い残暑に良いですね。朝倉義景公墓所近くの義景清水もいただきました。
雲海が見れるスポットの戌山城へも行ってきました。眺望だけじゃなく、竪堀群など遺構もステキで、時間が足りなかったです。
かねてから(竪堀群の間で昼寝したいなあ)とおもっていましたが、昼寝してたのかタヌキが二匹飛び出しました☺️
写真は越前大野城の武者登り。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-09-06)
今日は、関西での用事の帰りに(今年、行こう!)と思っていたお城の一つの福知山城などに行ってきました。緑の山々に囲まれた丘の上の天守の佇まいが素敵ですね。
福知山城といえば転用石の石垣ですが、想像していたよりもずっと転用石が多くて驚きました🫢
周りの山城も石垣造りだったり、石に不足する地域ではなさそうだと想像すると、超急ピッチでかき集めて(天守のある信長の城っぽい城)を築城する必要があったんかなー。
そんな感じで付近の寺社やお墓の石をかき集めているのに、善政を敷いたとして慕われている光秀さんも、ある意味すごいなあ、と思ってしまいました。
それから、天守のアシンメトリーさが私は好きな感じでした👍天守の古写真が出てきて、復興したものと近いと言われているそうですね。
城下は案内板も多く、全部は回れませんでしたが、移築門もよく残されてます。
遠方ですが、近くの丹波の山城も少しずつ攻城したいです☺️
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ぐこさん が 田中城(静岡県藤枝市)の城活ノートを更新しました(2024-08-24)
JR西焼津から徒歩10分ほどで、田中城下屋敷に到着。まずは下屋敷内を見学しました。無料です。
田中城下屋敷は江戸後期の城主下屋敷跡で、池や土塁のある庭園が復元され、田中城関連の建物が移築されています。
下屋敷に現在ある本丸櫓は本丸南東隅の石垣上に建っていたもので、靴を脱いで中へ上がれます。
櫓内にはジオラマや田中城と徳川家康に関する資料が展示されています。
受付でいただいた田中城跡散策ガイド、遺構図を手に、城内見学に行きました。
まず下屋敷を出て四之丸を西へ進みます。主に畑となっている三之堀沿いに西へ向かって行きました。畑の奥には三之丸土塁が数箇所、家老屋敷の土塁も見られます。中学校の裏手の三之堀と土塁は特によくのこっています。
一旦城外へ出て、田中城の水源として木管で城内に水を引いていた姥ヶ池に寄りました(写真)自噴の池で、大切に石垣で囲われていて、梅花藻まで咲いていました。
次に本丸に向かいます。
小学校の建物を右手に見ながら少し行くと大手二之門跡で、大手二之橋を模した木橋が二之堀に架けられています。向かいの住宅地の中には家老屋敷跡と三之丸土塁が整備されています。
二之丸内を進むと三日月堀(馬出曲輪)の案内板、その奥には三日月堀があります。半分になってしまっているとはいえ住宅地の中に三日月堀が見られるなんて、すごいですね。三日月堀の奥の二之丸と本丸は小学校になっていて、校門脇に本丸跡の標柱が立てられています。校内に田中城を模したお庭があるみたいですが、夏休み中の為入りづらくやめときました。
城域は住宅地で遺構の多くが失われていますか、あちこちに堀や土塁が点在し、遺構がなくとも標柱も随所に立てられていて、面白いです。西に向かって散策していたのに、弧を描く道を進むうちに気が付くと東向きになり元に戻っていて、円郭式の縄張りが体感できます。
下屋敷から南東に少し進んだ旭傳院には田中城の不浄門が移築されています。
下屋敷の見学も含めて、2時間くらいかかりました。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-20)
朝起きて雨天だったので、
(それならば‥)と静岡県の田中城などを散策してきました。
今川・武田・徳川の三氏の攻防が繰り広げられた珍しい円郭式のお城、家康さんの鷹狩りお気に入りスポットで、最晩年に鯛の天麩羅を食べたお城とも言われています。
市街化しているけれど、遺構はなかなか残っていて、団員さんのメモにもありましたが、楽しくウロウロしているといつのまにか時間が経っていました。
田中城といえば、武田方の最後の城将の依田信蕃が浮かびますが、本丸櫓内の展示を見ると、それまでも武田方の城代は猛者って感じで、重要拠点だったのですね。
彼は二俣城の経験も生かし、籠城に耐えうる兵糧を運びこんで、幾度も徳川の攻撃を退け、一万を超す大軍で囲まれた後開城しました。
田中城下屋敷のおじさんの話によると、城内の堀や池など自噴する箇所がやたらと多い土地で、水には不自由しないし、ドロドロで攻めにくく、籠城には適していたということです。フムフムです。
武田時代の三重丸の郭から、徳川時代に素直に四重丸にしてしまったのはなんででしょうね。
櫓内のジオラマはみたけれど、(その辺の山に登って円郭式を見下ろしたいなあ)と思ってしまいました☺️
写真は田中城下屋敷跡。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-18)
お盆の最後にお父さんと浜松城、三方ヶ原古戦場、井伊谷などを巡ってきました☺️
わたしには攻城済みのお城も多かったのですが、浜松城の荒く組まれた野面積みの石垣はやっぱりステキですね〜💕
井伊谷付近には2度行ってますが、秋に行こうとあえて取っておいた龍潭寺にも行ってしまいました。お庭(写真)がとても良くて、感嘆の声が出ました。
(さわやか)のハンバーグも初めて食べました😋
犀ヶ崖古戦場を見学していたら、白いタオルが落ちていて
(誰かタオル落としてはるなあ)と話すと(それ、布橋の遺構や)と返されました💦
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-10)
今日はお城ニュースで見かけて申し込んだ(名古屋城と庭園)を聴いてきました。
二部が千田嘉博先生で三部構成でした。
調査や復元整備が進んでいる二ノ丸庭園と今は名城公園等となってしまい価値が埋もれている?下御深井御庭についてのお話でした。
天守問題もあるけれど、これらのお庭も復元されると名古屋城の魅力が増すでしょうね‥
名古屋城については絵図や写真などが多く残っていて解析・復元しやすいとのこと。
千田先生の講義を初めて聴きましたが、とても面白く、可愛らしい先生でした。楽しく帰りました☺️
写真は秋の二ノ丸庭園北御庭。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-07)
お盆に発表会などがあってちょっと忙しく、なかなか攻城できていないので💦合間に名古屋城に行ってきました。
西の丸城宝館の展示は(武具・甲冑)で、兜や甲冑、刀剣などの展示がメインでした。
面白いなあ、と思ったのは
コンパクトに折り畳んで持ち運べる(畳具足)。下級武士へのレンタル用でもあったそうです。
それから、鉄砲鍛冶の国友一貫斎が、舶来の空気銃を修理して学んで作った(気砲)がありました。撃つ前に300回上下に動かして、空気を満タンにするそうで、笑えてしまいました😅
目にも鮮やかな甲冑を着こなしている徳川十六神将の掛け軸もありましたし、合戦図や布陣図の展示も多く、私はこちらが興味シンシンでじっくり見ました。
小牧・長久手合戦図はまだ私も行ったことないたくさんの砦が描かれていましたし、大阪夏陣布陣図は武将名が事細かく記されていて、大坂五人衆や、家康本陣の横に義直の名前も見えました☺️
名古屋城は早くも10日から始まるお祭り仕様でした⭐️
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-04)
8月になりました☀️
家族や友人から
(カレンダー、ぐーちゃんの写真になったよ)という声が届き、照れています‥
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-28)
今日はおばあちゃんの畑を手伝い、ダラダラトークした後、三重県の西坂部城に寄ってきました。
西坂部城は鎌倉時代に(三日平氏の乱)で蜂起した平氏残党のお城とのことです。
(日本人って三日坊主とか、三日天下とか三日が好きなんかな〜?きっと乱は三日じゃないんやろうね)と思いきや、乱を鎮圧した平賀朝雅(北条時政の娘婿ですね)の報告によればマジで三日で鎮圧したとのことでした💦
乱は三重県の広域にわたり、関所も制圧されていたそうなので(三日は盛ってるでしょ〜😅)と思えるし、その後の朝雅の異例の出世から乱自体が自作自演という説があるのもなんとなく頷ける気もします。
本丸に立ってみると、高い独立丘陵で、伊勢湾の眺望がとてもよいです。
こんな場所に城を築くなんて、頼朝死後はやっぱり多少混乱していて、この地域の平家残党さんもある程度勢力があったんだろうな、と思ってしまいました。
この酷暑で育ちすぎている野菜やスイカを持たされて、背負わされてるものが大きすぎる攻城になりました😅
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-26)
今日は北近江の三田村氏館跡などの国人領主の館跡や小室陣屋など陣屋跡を巡ってきました。ありがとうございます。
名古屋は連日ムンムンの酷暑ですが、
北近江は(なんか風が涼しいやん?)体に効いてこない暑さでした。最近はクエン酸増し増しの塩ラムネ作りにハマっていて、今日も持参しました💪
小室陣屋は藩祖が作庭界のスター⭐️小堀遠州さんということで、団員さんのメモを見て近くの小堀家の菩提寺のお庭も見てきました。思っていた遠州流のお庭より侘び成分多めな感じがしました。山門までの道がまた、ステキなんです。
後の藩主が親田沼派であったため田沼意次失脚や伏見騒動後は廃藩となっていて、城趾はなんとなく荒れている感じです。でも、伏見奉行などを歴任したからでしょうか、移築門はステキだったりして、栄枯盛衰を感じてしまいました。
小谷城を東の裏側から横目で見ながら、駅に走って行きましたが、元あった地形を利用しているのだろうけど裏側からも大堀切とか曲輪の輪郭がよくわかり、惚れ惚れしました。
登りませんでしたが😅
写真は栄華があったことを感じさせるような小室陣屋の移築門です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-20)
今日は小田原城とその総構を回ってきました。
午前中に山ノ神堀切や小峰御鐘ノ台大堀切など丘陵地を周り、天守周りの小田原城址公園を見学してから、相模湾側の総構を回ってきました。兵庫県の伊丹市出身なので、有岡城の総構は2回くらい回ったことがありますが、スケールが違いますね💦
小峰御鐘ノ台大堀切東堀や稲荷森が素敵すぎて、感激してしまいました。遠方ですが、(後北条氏のお城、ちょっとづつでも攻めたい)って野望が出てきてしまいました😅
写真は小峰鐘ノ台大堀切東堀です。関東ローム層で足元ツルツルします。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-10)
今日は三重県の五箇篠山城、下滝野城に行ってきました。
北畠具教が三瀬館で暗殺され、北畠氏が滅亡した後、僧であった具教の弟・具親が還俗し北畠再興を図りましたが、果たせませんでした。
6年後、本能寺の変で織田信長が倒れた際に、再び具親が挙兵したのがこの五箇篠山城です(織田信雄軍に一蹴されましたが💦)
お城全域とはいかないですが、主郭周りは夏季でも整備されていて、快適に見学することができました☺️
あまり整備されていないエリアも大きな堀切などがあり、面白いです。
下滝野城は小さなお城ですが、主要部周りの堀がぐるっと石垣造りな珍しいお城でした。
お寺さん(丹生大師)に寄ろうと思っていたところ、夕立が来てしまいました。
北畠氏のお城も結構巡ってきていますが、竹薮の迷路だと言う笠木館などが残っています😅
写真は五箇篠山城、主郭と二郭間の幅広い箱堀の間にある丸いポッコリ土塁。堀り残しとか買いてある書籍がありましたが、それにしても可愛いいフォルム。何度も見てしまいます。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-25)
今週は雨続きと思っていましたが、東海地方はわりと曇天で‥😅
ぐこの(ぐ)繋がりで北畠氏のお城をちょこちょこ巡っていますが、今日は北畠具教公隠棲地で三瀬の変の舞台・三瀬館や下三瀬城に行ってきました。
織田信長の伊勢侵攻(大河内城の戦い)で和睦後、具教が隠棲・再起を願った地が三瀬館です。
和睦と言う形の織田家による北畠氏乗っ取りなので、具教も武田信玄などど密通したともされ、具教や一族暗殺の三瀬の変に至ります。
三瀬館は数段の削平地で土塁などはないですが、三方を山と川で囲まれた天然の要害という感じです。青もみじがキレイでした。
塚原卜伝に剣術を学び、奥義である一の太刀を伝授されたほどの剣豪でもあった具教公の最期、一説には織田の刺客相手に19人を斬り殺し、100人に手傷を負わせたともいいます。攻城者さんは誰もおらず、風雅さと物悲しさを感じます。秋はステキだろうなあ。
下三瀬城は北畠氏被官・三瀬氏の代々の居城であったされ、高い土塁には少し石積みも残っていて、立派です。なによりすごい要害の地にあるお城でした。
三瀬館に隠棲する具教さんにとってそれは心強いお城であったと思うけど、攻城団の紹介文にあるようにその時の城主は内応して暗殺に加わった北畠家臣という説もあるようです。
写真は三瀬氏の収入源となっていた熊野古道伊勢路の三瀬の渡し。この北側の崖っぷちに下三瀬城があります。(風も無く、川なのに明鏡止水やー!)って喜んでましたが、その分蒸し暑い〜💦
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-20)
梅雨入り直前の滑り込み💦と言うことで滋賀県の暫定登録・布施山城などに行ってきました。ありがとうございます😊
布施山城は六角氏有力被官、布施氏本家のお城です。
有力家臣の後藤氏が殺害されたことから起こった観音寺騒動で、布施氏は北近江の浅井氏と結んで布施山城で蜂起し、主家である六角氏に反旗を翻しています。
前方後円墳の後円が主郭、前方が副郭になっているシンプルなお城ですが、石垣の虎口跡の石材が散乱していて、六角氏の家臣感があります😅
登城道からシダなどで薮になっている箇所が多いし、初夏なのに、意外にも南西の竪堀群はわかりやすくて良かったです。
(もともとの布施氏の詰城を浅井氏協力の元に竪堀を加えてたりするのかな)と勝手に想像してみたり。
そして、布施山城を攻城されたら、西麓の後藤氏館跡に立ち寄られるのがオススメです。立派な石垣の虎口と重厚な土塁が残っています。
次のお城・川守城へ向かって橋を渡っていたら、額田王と大海人皇子の銅像がありました。
あかねさす 紫野行き‥
紫草の 匂える妹を‥
万葉集に残る二人の相聞歌は、天智天皇がこの辺りの近江で遊狩をした際に詠まれたものだったのですね(場所は諸説ありみたいです)
そう思うと、青々とした田園風景にほんのり色がつくようでした💜
写真は額田王にやたら手を振ってそうな大海人皇子。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-18)
今日は雨降りなので山城はやめて、岐阜県の関市のアジサイ街道を通りつつ田口城、郡上八幡城に行ってきました。
郡上八幡城は耐震補強工事&展示リニューアルしてからは初めて。小雨だけど青もみじと天守のコラボがステキでした。
雨が止んで、霧が出ていたので、郡上八幡城が見下ろせる峠まで足を伸ばしてみました。
登るうちに晴れてきて、天空の城じゃなくなってしまいましたが、すごく美しかった〜❤️望遠のカメラじゃないスマホなので写真はダメダメですが、感動しました〜☺️
田口城は、金森長近に養子として迎えられた金森可重が生育したお城でした。
石碑の文面が(飛騨古川に増島城を築き、父長近と共に織田・豊臣・徳川三代に渡り戦いに明け暮れ生き抜いた武人であり、民政に意を用い茶道を嗜んだ名君‥など)とあり、(熱く語ってる石碑、なんか良いなあ〜)と思いました。モネの池にほど近いです。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-12)
今日は仕事のあと、名古屋城城宝館の(名古屋城本丸御殿障壁画と復元模写展)を見てきました。
重要文化財の本丸御殿の杉戸絵や天井板絵と復元模写の杉戸絵や天井板絵、復元模写に際しての材料や道具の展示もありました。
杉戸は、観覧者の動線に支障をきたすため外してあり、普段本丸御殿に入っても見ることができないものです。
重要文化財の本丸御殿杉戸絵と横並びにその復元模写が展示してあるものもあり、比較して鑑賞でき、面白かったです。
重文の方は、板が重厚感あるカラーになって絵も一体化してるような感じでした。
復元模写を観ると、絵に杉の板の背景カラーや板目に負けない力強い感じが残っているし、塗料の重なりで鳥の羽や花びらなどは3Dのようになっていて、油絵のようだと思いました。
写真は上洛殿南入側の花車図杉戸絵の復元模写で、前に重文の方を観たことがあったので華やかさに目を奪われました!
夏の日差しでギラギラな金シャチを見た後は、暫定登録の岩塚城へ行ってきました。ありがとうございます。
適当に走って行ったのですが、ちょうど(太閤秀吉攻路・人生大出世夢街道)のコース上を通りがかったみたいで、絵本太閤記を元にしたレリーフ展示を全部観ることができました。
日吉丸誕生のレリーフから、最後は醍醐の花見まで30枚あって(ホントドラマチックな人生やなあ)と楽しめました。再来年の大河が楽しみです😊
岩津城はお寺に城趾碑があるのみでしたが、佐屋街道宿場町に近く雰囲気ある街並み、地名にも城趾が偲ばれます。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-06)
今日は朝おばあちゃんの畑を手伝った後、三重県津市白山町のお城、稲垣城、上ノ村城などを巡ってきました☺️
高い土塁囲みのお城が点在する甲賀中惣群のお城みたいに、地侍の一揆的結合の小倭衆が北畠氏に仕え勢力を持ってお城を築いていた地域だとされます。
四方囲みの土塁は高く、(馬出し)っぽいのがついた虎口があり、小ぶりながら私には期待以上のお城が多かったです☺️
稲垣城は主郭の虎口正面奥の高土塁が凹んでいて、内側全面が堀になっていました。あんまり見たことないタイプです。
堀部分は武者隠しに使うのかなー?など色々妄想しました。
しっかし、今年はカメムシ、多いですね〜💦
移動中(なんか私、くさっ!)と思ったらカメムシが帽子の上にいました😭知り合いにカメムシ研究の人がいますが、匂いは油性だから、水洗いより、一時的にはハンドクリーム的なものを塗ってテッシュで拭くとかのが無くなるようです👍でもやっぱり残り香がありました💦
写真は上ノ村城のキレキレ堀切。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-02)
今日は蒸し暑い日でした💦
名古屋‥特に南部?は、六月の第一週はお祭り目白押しで、今週は熱田祭りがあります☺️この週末も名城堀川祭り、有松しぼり祭り、豊明市でも桶狭間古戦場祭りがありました。
去年も見た、桶狭間古戦場祭りの武者行列と合戦再現劇へ今年も行こうと思ってましたが、雨天中止。昨日の義元公墓前祭とかは行われたみたいですけど、残念でした。
時間ができたので東海道ジョグをしてきました。笠寺観音の中に入っていくと、宮本武蔵の碑に気づきました。
(宮本武蔵武蔵が尾張藩にリクルート活動していた時の滞在地が笠寺だとは知ってたけど、石碑まであったんや)
武蔵は尾張藩初代義直公の前で剣の腕を披露したけれど、剣術指南役は柳生一門が占めていたり、金銭的な問題で就職ならずだったそうです。
でも腕前が評判になり、弟子を置いていったところ、入門が続出し繁栄したとの事。武蔵さんの没後100年を記念して碑が建てられたんだそうです。
笠寺観音は竹千代と織田信広、人質交換の場所の候補地の一つともされていて、竹千代の像もあります☺️芭蕉さんの句碑もいくつかありますよ。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-05-29)
今日は仕事の後、名古屋刀剣博物館へ行ってきました。
五月にオープンし、ローカルニュースなどでもリポートされていたので気になっていました(刀剣についての知識は皆無ですが💦)
展示は刀剣だけじゃなくて、甲冑、弓矢、鉄砲、浮世絵などがあり、常設、企画、特別企画の展示室がありました。中には国宝や重文もありましたが、フラッシュなしでの撮影はオッケーでした☺️
(とりあえず来てみた)ような、ミーハーな私でもわかるように展示されていて、(どういうポイントを見れば良いのか、時代による変遷、五つの鍛法など)基礎からの解説が多かったです。
開館の特別企画は(三英傑の刀剣)で、目玉の(国宝 短刀 銘 来国光)もじっくりみてきました。豊臣秀頼から織田有楽斎、その後は長く前田家に伝来されたそうです。
たくさん見て、刀剣の持つ静謐な美しさはよくわかりました。でも美しさだけじゃなく(切れる=死)っていうのをビシビシ感じてしまい、じっと見るとどうしてもゾクゾクしてしまいます💦
中には映像コーナー、お城コーナー、体験コーナー、コスプレコーナーもありました。←ちょっとやりたかったけれど、一人なのでやめときましたが🫣
おひとり様のおじさん、お姉様が多かったけど、母&娘の二人組さんなども多くおられ、気楽な感じで鑑賞できました。カフェもありましたよ。
(刺身包丁と比べてキレ味はどんなものなのかなのかな‥)と気になりつつ帰りました。
名古屋城から徒歩圏内とは言えないですけど、刀剣、武具がお好きな方は名古屋城にお越しの時は立ち寄られるのも良いかと思います。
写真は、ゴージャスさにびっくりした(黒漆塗葵紋津山散蒔絵女乗物)。越前松平家の箏姫が、津山松平家7代当主の松平斉孝に輿入れする際に作られたそうです。
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