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当時は写真があるわけではないので伊達政宗の顔を知らない兵が大半でしょうけどそんなに簡単にだまされるのでしょうか。片倉小十郎は政宗より10歳も年上なので、違和感はあると思うんですけどね。 あと人取橋の合戦というと、いかりや長介さんの鬼庭左月斎を思い出します。
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【戦国合戦こぼれ話】人取橋の戦い、主君を救った片倉小十郎&鬼庭左月
「人取橋の戦い」で殿をつとめて討死した鬼庭左月は、政宗を支えた片倉喜多、鬼庭綱元の父としても知られています。
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【戦国合戦こぼれ話】人取橋の戦い―家臣の献身と敵側の事情が政宗を救う
合戦というものはいろいろな因果の積み重ねで起きるものですが、この「人取橋の戦い」も畠山義継が伊達輝宗を拉致したからで、しかしその拉致事件も伊達政宗が義継と姻戚関係にあった大内定綱を攻めたからで……とつながっていきますね。