片桐且元()さん 武将   フォロー

出生地 明智町(大正村) 明智光秀の出生地とほど近く、幼少期の遊び場は光秀ゆかりの八王子神社。5才で小里城や一日市場館址のある瑞浪市に転居。今もそこが親の住む地。化石が多く採掘される地に育ち幼い頃から、ゲンノウとたがね持参で採掘。現在化石コレクション多く、その頃から他の石という石が大好き。歴史が大好きな子どもで、中学生の時、自転車で市内の城址や史跡の写真を撮り調べたことをレポートしたのが金賞を受賞。高校は大井城址であった恵那高校に行き、大学は、これまた八王子城址に建てられた東京造形大学で彫刻を学ぶ。そこでも石を彫ったりしてた。大学卒業し結婚して尾張に転居。現在に至ります。片桐且元の末裔という家系図あり。半分信じる。

片桐且元さんが1986年にもっとも攻城したお城

1986年にわたしは2城(2回)攻城しました。もっとも攻城したお城は「 江戸城(東京都)」の1回です!

1986年の訪問ランキング TOP 100

順位 城名 所在地 回数
1 東京都千代田区 1回
1 東京都八王子市 1回

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今日のレビュー

戦国の城の一生: つくる・壊す・蘇る (歴史文化ライブラリー)

僕らは攻城の折に、何もない城址だとつい「残念ながら遺構は見られない」と思い、書いてしまいますよね。事実そう感じてしまうことで仕方ない。そんな中でも何かいい所を見つけて書きたいものです。そんなご同輩や私に、この本!
城って、造るのが大変で注目されるのはそこだと思いますが、落城することもあれば、天災で壊れそのまま廃城になることもあったわけで、そうした例を数多くの文献を引用して紹介してくれています。完全に破却される城がある一方、現代も遺構がある城址も存在する訳や、植栽の手入れやごみ・糞尿の処分などメンテナンス、門限や賭け事などのルール(城掟)といった生活観まで教えてくれます。
城掟ってものが残っていることを知りました。機会があれば見てみたいな。

こーたさん)

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