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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-04-27)
 4/26は城たびで玄蕃尾城を攻城しました。集合が正午だったため、午前中に秀長さんの陣田上山砦(城)を攻城すると決めていました。木ノ本駅から徒歩で登城口まで行く途中、北国街道を横切る事になりますが、木ノ本は室町時代から牛馬市が開かれていたそうです。山内一豊さんはこの地の平四郎という馬宿でかの有名な摺墨の名馬を買ったそうです。そんな場所とはつゆ知らず、徒歩で攻城して得したような気がしました。
そして田上山砦は他の団員さんが書いてくれていた通り、非常に手入れがされており1人でも迷わず攻城出来ました。感謝です。
田上山砦はコンパクトながら遺構はしっかり残っており、経験の浅い私でも、空堀、郭、虎口、土橋、馬出、土塁がハッキリ分かって楽しめました。
特に北曲輪に馬出と深い空堀が設けられ、賤ヶ岳合戦の最終防衛ラインとしての備えを確認出来ました。
午後からの玄蕃尾城のはガイドさんによりお城への道中にある史跡についても車を降りて丁寧に教えてくれました。今日は両軍の城、砦を同時に見学出来てとても充実した一日になりました。写真は北国街道、馬宿跡です。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-04-25)
 今日は豊田市博物館で開催されている企画展『教えて、千田先生!とよたの城も天下の城も』記念講演会を聴講しました。先生は豊田市で生まれ、幼少期に市内にある桜城の石垣を撫でた感触を記憶しているそうです。桜城は築城絵図(計画図)によると馬出、石垣、水堀が描かれており、江戸時代の軍学を盛り込んだものだったそうです。
前述絵図馬出の話題から家康が武田氏の築城技術を取り入れ改修したお城の話に及びました。小牧長久手の戦いでは小牧山城の北側に馬出を設け改修している、従って馬出を通って中に入る事となり、信長時代の大手道を変えている。更に小牧長久手の戦いで秀吉と和睦をしていない事から以降緊張が続いていた。こうしたなか家康は秀吉の挙兵に備えて豊田の山城を改修した形跡がみられる。例として大桑城の馬出、市場城の畝状空堀から石垣の城へ、大給城の連続外枡形虎口と石積み等を事例に挙げられました。一方馬出については秀吉も聚楽第に取り入れており、それを見本に広島城の馬出が作られたそうです(二の丸)。又畝状空堀についても言及され、一番古いものは京都の嵐山城1505年(永正2、室町)とされ赤色立体地図により発見されたそうです。又、海外のお城についても話題にされ、イギリスのメイデンカッスルでは紀元前2世紀に馬出の構造が確認されていると教えてくれました。そして日本人が16世紀に馬出を考え出した点について興味深く感じました。もう一つ印象に残ったお城は樺太にある白主土城です。このお城は元の国の尺で作られている事が分かっており、北海道に隣接している事からもう一つの元寇と捉えている、と仰いました。
話は元に戻り、家康改修の連続枡形虎口の話から島原城へと及びました。元和4年平和な時代に何故連続枡形虎口と天守曲輪を備える必要があったのか。島原の乱との関連性を検討する必要があるだろうと仰いました。
講演会は次から次へと話題が多岐に及び、へーふうん、などと思っているとどんどん置いていかれてしまうほどのボリュームとスピードでした。何よりとても楽しかったです。とよたの山城を丁寧に紹介した展示会を是非観に行ってください。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-04-14)
 春の見学会に参加しました。福井はどの山も熊が生息しているとの事で、イベント開催はありがたいですね。考古学、植物学の学芸員さんが1名ずつ引率してくださり充実した一日になりました。前日は終日雨で心配しましたが天気予報通り晴れて催行されました。博物館から下城戸跡、道端の磨崖仏を見ながら歩き、馬出しルートで攻城しました。登り始めるとすぐ馬出があり中井均先生が『馬出しルートでええやろー』と名付けられたと話してくれました。道中は城下町を見渡す役割の小見放城跡、地蔵尊とその周辺には笏谷石で出来た瓦の一部が転がっており祠が有った事が想像されます。植物の説明もありました。キブシの木を教えてもらい実がなっておりお歯黒の原料に使われたそうです。初めて知りました。更に登り城域の入口付近に山城唯一の水の手、不動明王の石仏の足元からは今も水が湧き出している不動清水がありました。一乗谷城に限らず当初の城道は分からないのが普通ですが、このように人の手が入った痕跡のある道は昔から使われていたと考えて良いのではないかと学芸員さんが話してくれました。
今回の見学会では赤色立体図と高山植物一覧を配布してくれました。千畳敷跡以降の見学は実際に目にする遺構の形と地図の立体的な形とを比較しながら確認する事が出来とても興味深い体験が出来ました。山上の城域は発掘調査から居住地区と戦いに備えた地区とに分かれていると考えられているそうです。城域の周辺は100条を超える畝状空堀群巡り、北から東にかけ多く見られます。畝状空堀群は千畳敷跡から北櫓跡へ向かう土塁の上から見ると分かりやすいと案内してくれました。又一乗谷城で一番高い場所は三の丸曲輪(標高473.58mで北アルプスがチラりと見える)ですが、城下は宿直曲輪からの眺望が一番です。福井平野と足羽川、山頂から死角となる場所には支城がいくつか作られていたそうです。谷底の城下町は縄文時代からあり、生活や流通に足羽川利用して朝倉氏は特産の笏谷石やお米で財を成したそうです。晴れた空に周辺に存在するだろう支城に想像を膨らませると疲れが吹っ飛びました。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-03-31)
 ルームのイベント情報に投稿した鎌刄城見学会に3月20日参加しました。米原駅に着くと、たしでれさん、ねこちまるさん、しろくまさんが居ました!やったあ嬉しい😃城たび高天神城女子全員集合です。メンズは?1人も居なかったー
米原駅で湊の説明を受け歩き出すと間もなく中山道と北陸道の分岐点がありました。次に番場宿跡を右に曲がり蓮華寺を見学。足利尊氏挙兵により追い詰められた六波羅探題北方の北条仲時が一族郎党総勢432名と本堂前で自刃しました。境内には供養塔があります。
鎌刄城では主郭の大石垣を見学、4人で虎口に座りお昼をたべました。鎌の刃の由来となった西の手にある連続堀切も見たかったのですが、団体での見学は安全面から行けずに下山しました。
番場公民館でトイレを借り、管理人さんと話した後自由解散も可能だったので、たしでれさんから米原駅近くにある太尾山城を裏手から登り駅へ戻るという素晴らしい計画を聞き揃って便乗して二つ目のお城へ。登山用アプリを使いこなし先導して下さいました。感謝感謝です。
攻城団に入って本当に良かったと改めて実感した楽しい一日でした。ありがとうございました。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-03-28)
 2026/3/1木津の文化財と緑を守る会主催、中井均先生講義&見学会に参加しました。
村の裏山はすべて山城→村の城、在地小領主の城である。これらは2009/7/23国史跡『甲賀郡中惣遺跡群』にしてされた自治組織に関する遺跡群で甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在する。織田信長の近江侵攻という軍事的緊張を背景に形成された。甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍していたが野洲川の戦いで敗北、信長の配下となった。
城の構造の特徴として単郭方形型で一辺は30〜50mの曲輪がひとつで周囲には土塁が巡りその外周には空堀が巡っている。その典型例として寺前・村雨城跡、新宮・新宮支城跡(これらは単独でなく2ヶ城セットで構成されている)、和田城跡、大原氏館跡、貴生川遺跡がある。中には新宮支城等土塁高さが最大8mに及ぶものもある。
自治組織として普段は城番は不在で臨戦状態の時だけ番を組んで配備された様子。大原同名中中掟書https://www.city.koka.lg.jp/secure/37360/R6.pdf
には『てはしのしろ→手端→手近の城』と解釈してよいのではないか。
見学会では一見似たような城跡にも工夫が見られる事を教えていただきました。写真は寺前城の主郭北側左手虎口を出たすぐにある土橋の上に先生が立ち、敵の背後からの攻めを再現してくれました。土橋の両側は堀切。堀切のさらに向こう北側に当初の城道があり桝形になっている。敵が登って来た所を左手虎口からそろりと出て来て敵の背後をつく。
虎口は二つ有り主郭から見て左手の虎口は城道からは見えない。又秀吉に改修された城は土山城跡の他に二つあるがそのうちの一つはここではないかと考えている。
尚、地元甲賀では『こうか』と発音し、濁点は付けないそうです。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-03-02)
 2月最後の週末は狸親父さん選定の土山城へ行きました。高天神城の城たびでご一緒だった狸親父さんに中井均先生見学会参加で甲賀に行く予定で前泊する事を話したらお勧めしてくれたのです。実際に訪れたら堀と土塁の連続、馬出しもあり感激しました。登城口や城道も分かりやすいし曲輪に立て看板があり見学しやすい、そんな事も配慮して100名城を選定されたのだろうな、と有り難かったです。翌日の中井均先生の「甲賀の🏯探訪」講演&見学会では土山城は対象ではなかったものの、何度もその名を口にされ甲賀の城跡を語るに外せない名城なんだと実感しました。
さて狸親父さん100名城はフォルダ作成していますが、改めて確認すると登録数が99城になっていました!何て事でしょう😱未登録1城探さないといけません😅
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-02-22)
 今日は磐田市主催の社山城址見学会に参加しました。そうしたらまーちゃんさんと、にゃーさんも来ていてお話し出来て嬉しかったです。いつもイベントに参加しても1人で居るので、攻城団が有って繋がりが増えて有難いと実感しました。そして30名定員のところ270名の応募が有ったと発表があり運が良かった事を知りました。
見学の班は二つに分かれました。私の班は文化財系の学芸員さんでした。学芸員さんは、戦国大名が城内に稲荷神社を祀る理由を教えてくれました。稲荷は元は居成と書いたそうです。従って『その場所に在り続ける』と願い祀ったのが始まりなんだと教えてくれました。この話は発掘調査を主とする学芸員さんではなく文化財を研究された学芸員さんならではの知識であり、それぞれの立場で注目点が違うのだと思い、興味深かったです。社山城址自体はいくつもの空堀で分断され、土塁もあり見どころ満載でした。堀で分断された曲輪は木橋がかけられていた、と考えられているようです。
その後は高天神城行ってから行きたいと思っていた横須賀城を攻城しみした。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-02-01)
追伸
石垣BIMの成果により刻印の発見率が飛躍的に増えたそうですよ!刻印好きには朗報ですね😊
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2026-02-01)
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-11-02)
日本古城友の会主催の例会、11/2鳥取城に参加しました。前日1日に備中松山城、米子城を見学し、鳥取で泊まり、翌日鳥取城を見学しました。備中松山城では、急なスコールに見舞われ、登山道は、濁流が流れてトレッキングシューズ必須だと思いました。大手門跡近辺の石垣に圧倒され天守の中を見学した後、裏手に回り搦手側から二重櫓を見上げると、岩盤の上に石垣が積まれている様子がよくわかりました。団員さんが書かれていたように、大松山城にも足を伸ばしました。乗り合いタクシーの運転手さんから熊は居ない、猿がいるかもしれないけど、おとなしいから大丈夫ですと言われました。それでも熊鈴を鳴らしながら行きました。時間に余裕があれば大松山城跡の見学をお勧めします。帰りの乗合タクシーの運転手さんが、備中松山城の石垣は現地調達で三の丸は大きな岩盤をくり抜いて作られた曲輪で石垣に使われた、と話してくれました。凄い土木量で驚きました。城下町を熱心に勧めてくれましたが米子城へ行きたかったので残念ながら辞退しました。米子城でも雨でした。立派な枡形塔城口から登り始め、本丸まではゆっくり歩いても20分ぐらいで着きました。天守台から見た景色は絶景でした。来た道を戻り、登り石垣を見学しました。案内板がなく分かりずらかったのですが、内膳丸への分岐点があり、そちらに進むとすぐ左側にありました。
次の日9時に鳥取城集合、東照宮鳥居から太閤ヶ平へ向かいました。道はアスファルトで、幹事さんが、アスファルトを歩いて行けば迷わず着ける、終点が太閤ヶ平です、と教えてくれました。到着すると感嘆の声が漏れ、壮大な曲輪や土塁、想像を絶する土木量に感激しました。充分見学した後鳥取城本丸へ向かいました。本丸へは山道で登山靴必須です。歩いている道は横堀を歩いているのだと教えてくれました。途中、秀長の陣跡やその下には二重の竪堀もありました。その二重竪堀は麓まで続いているそうです。その先を進み現れた分岐点から折れる道は兵糧を運んでいた道なのだそうです。十神砦に立ち寄り、三の丸の門跡、登り石垣を見学後、本丸に立つと、砂丘が黄金色に輝いて見えました。ご褒美もらえた気分でした。この日は風が強く、汗が冷えそうで、こういう体温調整がこの時期大切だと実感しました。ここでお昼を食べ、麓の二の丸方面へ向かって降りて行きました。二の丸へ降りて行く道は、急な石段で、滑りやすく、逆に登っていくのは絶対に嫌だなと思いました。下りの行程にしてもらってよかったです。下の城跡の二の丸北側隅にある登り石垣、復元された中ノ御門、天球丸を見学、山下ノ丸にある城内最古の石垣を見学して解散となりました。15時過ぎでした。疲労を感じない程満喫して感謝でした。尚このルートだと下山するまでトイレが無いので要注意です。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-06)
10月5日(日)は攻城団イベントのお知らせにもあった、一乗谷城登山会に参加予定でしたが、生憎の雨で前日に中止連絡が入りました。既に福井市内に居て丸岡城を見学した後だったので、足羽七城を巡り、翌日は登山の代わりに懷の博物館と遺跡巡りに行く事にしました。小黒丸城、安居城、藤島城、最後に北ノ庄城(柴田神社)と併設の城址資料館へ行くと、職員の方が一点ずつ丁寧に説明してくれました。職員さんに明日の登山会が中止になり博物館へ行く予定だと話すと、博物館と遺跡のスルーガイドが午前と午後に開催されるから是非にと教えてくれました。続いて笏谷石についても解説してくださり、今まであまり石の種類について知らなかったので勉強になりました。笏谷石は福井城から程近い足羽山で採れて丸岡城の屋根や福井城石垣に使われている。約1600万年前の火山灰が固まって出来た緑色凝灰岩で濡れると青くなる。柔らかくて加工しやすいので福井城の石垣は正方形に加工され布積みとなっている、と教えてくれました。また、当館のある北ノ庄城跡は福井城の縄張りの中、縄張りの遺構は市内には残っていないとの事。隣の柴田神社にあるお市の方と三姉妹の銅像はこの城で柴田勝家と暮らして居た頃の背格好だそうです。
次の日、一乗谷朝倉氏遺跡博物館9:50発のスルーガイドに参加しましたが、参加者は私だけで、まさかのマンツーマンでした。博物館内で出土品やジオラマの解説を聞き、その足で遺跡を見学したため、イメージが膨らみ、とても楽しめました。一乗谷朝倉氏遺跡は東京ドーム50個分が国特別史跡になっており、発掘はまだ7%しか終わっておらず、この後100年、200年と発掘を続けて欲しい、どガイドさんが語っていました。壮大な話です。遺跡のある谷は東西が山に囲まれており南北には城戸の遺構が残っています。東西には一乗谷城を含め4つの山城による防御で固められているとの事でした。総構えだったようです。また笏谷石にも言及され、朝倉氏は全国へ出荷し財を成したとの事でした。笏谷石は福井の歴史に外せない重要な特産品だったようです。2時間があっという間に過ぎて、充実した時間を過ごせました。次回は攻城団の皆様と、博物館、遺跡、一乗谷城登山と丸一日かけて、一緒に攻城出来るといいな!って思いました。雨天でも楽しめる一乗谷城朝倉氏遺跡へ是非お出かけください。尚、スルーガイドは土日開催11月末まで、500円です。詳しくは博物館へお問い合わせください。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-02)
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-10-02)
 犬山城城たびに参加されていた、はつみんさんに名古屋城オンラインツアーのアーカイブが公開されている、と教えていただきました。念願かなって観る事が出来ました。念入りに下見をされた様子が随所に窺われ、とても楽しめました。土塁や石垣の遺構がこんなに街中に残っているなんて知らなかったです。また、先週古渡城へ行ったところだったので、まさに総構え(計画だった)の南端を知らずに攻城していたなんて!ビックリと嬉しさで一杯です。隣の下茶屋公園は土塁なのかなぁ?って思っていたので、はつみんさんと答え合わせが出来て重ね重ね嬉しいです。ありがとうございました。
さて堀川や清州越にも言及され、五条橋の名前があがっていましたが、そのもう少し南に下ったところに伝馬橋があります。画像を添付させてください。
オンラインツアーに参加出来ずに残念に思っていましたが、こうやってアーカイブを公開していただき、はつみんさん、団長さんありがとうございました。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-07-28)
GWに松山城を訪れたのを機に松平久松家と家康との関わりを辿りました。大高城、熱田羽城、阪部城、洞雲院と巡り、(まだまだ掘り下げる余地はありそうですが)点が線になったような気がします。攻城中は団員さんが残してくれた記録に助けてもらい感謝しています。今後も自分でテーマを決めて無理せずにのんびり攻城するつもりです。
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-03-08)
まーちゃんさんが紹介してくれた、本郷先生の承久の乱、ちょうど先月読み終えたところでした。分かりやすくて面白かったです。通勤電車で読んでいたのですが、次はどうなるか気になって、下車したくなかったです!
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さすけさん が最近のひとことを更新しました(2025-01-27)
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