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2023年3月から、日本100名城と続日本100名城を同時並行で巡っています。公式スタンプを押すだけでは意味がないので、山城含めどのお城も必ず登城しています!
これまでで一番大変だったお城は対馬の金田城ですが、天候にも恵まれて最高でした。

ヒロAさんのタイムライン

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ヒロAさん が  霧山城(三重県津市) の写真をアップしました(10:39:53)

登城道(鐘撞堂跡へ)
登城道(鐘撞堂跡へ)

まっすぐ行くと鐘撞堂跡。右に下って行く道は本丸のある北曲輪群へ行く道。鐘撞堂跡からでも北曲輪群に行けます。

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ヒロAさん が  霧山城(三重県津市) の写真をアップしました(10:39:53)

詰城からの景色
詰城からの景色

詰城にある説明板の所から、東の多気盆地が見えました。多気北畠氏遺跡(上多気六田地区•景賞院跡)方面の眺望です。

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ヒロAさん が  霧山城(三重県津市) の写真をアップしました(10:39:52)

詰城跡
詰城跡

詰城の帯曲輪の様子です。

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ヒロAさん が  霧山城(三重県津市) の写真をアップしました(10:39:52)

登城道(ほぼ中間地点)
登城道(ほぼ中間地点)

道標が立てられているので、道に迷うことはないです。

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ヒロAさん が  霧山城(三重県津市) の写真をアップしました(10:39:52)

霧山城への登山口
霧山城への登山口

尾根上の登城道を40〜50分ほど登ると本丸がある北曲輪群に着きます。

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ヒロAさん が  北畠氏館(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-03)

案内板(鳥居前)
案内板(鳥居前)

北畠氏館と霧山城(詰城)の位置関係がよく分かる空撮の案内板が、北畠神社鳥居前にありました。

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ヒロAさん が  北畠氏館(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-03)

礎石建物跡
礎石建物跡

礎石などは埋め戻されているので何もありませんが、土塁で囲まれているのが分かります。

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ヒロAさん が  北畠氏館(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-03)

北畠神社の社殿
北畠神社の社殿

北畠氏館があった場所です(山麓部)。

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ヒロAさん が  北畠氏館(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-03)

北畠顕家公の銅像
北畠顕家公の銅像

太平記でも有名な北畠顕家は、北条時行と並び称される南北朝時代を生きた悲運の若君(プリンス)です。

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ヒロAさん が  北畠氏館(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-03)

北畠神社の鳥居
北畠神社の鳥居

鳥居をくぐり赤橋を渡った先の突き当たりを左に向かうと、尾根上に築かれた詰城、霧山城の登山口があります。

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ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-02)

土橋と櫓台
土橋と櫓台

西の丸へ至る土橋。その右側に西の丸二階門櫓台、左側は西の丸玉櫓台。

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ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-02)

戌亥櫓台(南から)
戌亥櫓台(南から)

本丸北側に3重櫓が建っていた戌亥櫓台の石垣です。

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ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-01)

埋門跡(南から)
埋門跡(南から)

本丸からの脱出口として造られた埋門を、外側から見ると少しだけ犬走りの痕跡がありました(写真下)。

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ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-01)

埋門跡
埋門跡

藤堂高虎公の銅像から奥へ進むと、埋門跡に至ります(写真奥の切れ間です)。右の大きな石垣は天守台跡。

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ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-12-01)

藤堂高虎公の銅像
藤堂高虎公の銅像

お城公園内にある銅像です。

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ヒロAさん の読者投稿欄「山城での失敗談やこれから山城にチャレンジする初心者へのアドバイスがあれば教えてください 」への回答が公開されました(2024-12-01)

山城も様々です! 道案内や遺構のプレートがしっかり確認ができる山城もあれば、必ずしもそうでない山城も多く存在します。けして侮ってはいけません。楽しい山城歩きのために

① まずは事前の準備・計画をしっかりと!
(それでも計画通りになるとは限りません。また近年クマ対策も十分注意が必要です)

②特に険しい山城は細心の注意を!
(最悪の場合、油断すると滑落します)

③無理をしない事!
(道に迷うケースもあり、冷静に引き返す勇気も必要。暗くなる前に下山すること)

④常に天候変化に気をつけましょう!
(山の天気は急変しがちです)

⑤何より体力をつけておきましょう!
(日頃からよく歩き、しっかり体調を整えて)

写真は今年6月対馬の金田城です
約5時間要しましたが、天気にも恵まれケガなく無事攻城できました(ここは極力YAMAP使用をお勧めします)。皆さん今後も楽しい山城攻めを!

ヒロA

ヒロAさん が  津城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-11-30)

丑寅櫓と石垣(東から)
丑寅櫓と石垣(東から)

津城跡で存在する建物は、本丸東北隅にある3重3階の模擬櫓だけですが、他城ならこの丑寅櫓は天守並みだと思います。

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ヒロAさん が  松坂城(三重県松阪市) の写真をアップしました(2024-11-30)

松坂城跡の石碑(裏門跡の手前)
松坂城跡の石碑(裏門跡の手前)

「松阪市」の 「松坂城」
余談ですが、こざとへんの「阪」か、つちへんの「坂」か混乱しやすいですが、もともと蒲生氏郷が築城時に付けた地名は「松坂」でした。吉祥を表す「松」と、豊臣秀吉(主人)の居城である大坂城の「坂」を組合わせた「松坂」。ところが、明治新政府の廃藩置県の際に、つちへんの坂の字は、サムライが反乱を起こすと書く字に見えて縁起が悪いと(まったくの難癖)、大坂の地名をこざとへんの「阪」にして大阪府が誕生しました。その数年後、松坂も新時代の流れで、地名をこざとへんの阪に変え「松阪」にされた歴史があります。
尚、読み方は濁らず 「まつさか」です。 よく「まつざか」と間違われやすいようです。

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ヒロAさん が  松坂城(三重県松阪市) の写真をアップしました(2024-11-30)

御城番屋敷(内部)
御城番屋敷(内部)

内部を見学させて頂きました。中では地元スタッフの方が色々と丁寧に説明してくださいました。

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ヒロAさん が  松坂城(三重県松阪市) の写真をアップしました(2024-11-30)

御城番屋敷
御城番屋敷

西棟北端の1戸は無料公開されています。

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