藩が成立した経緯
岩村藩は、1601年(慶長6年)に成立しました。以下はその経緯です。
- 松平家乗の入封: 徳川氏の譜代大名である大給松平氏の松平家乗が、上野那波藩から2万石で岩村へ入封し、初代藩主となり、岩村藩が立藩しました。
主な藩主とそのエピソード
松平家乗
- 初代藩主: 松平家乗(まつだいら いえのり)は岩村藩の初代藩主で、1601年(慶長6年)に岩村へ入封しました。家乗は上州那波にあった父祖の霊廟で菩提寺の盛巌寺を岩村城下に移しました。1614年(慶長19年)に死去しました。
松平乗寿
- 第2代藩主: 松平乗寿(まつだいら のりなが)は家乗の息子で、第2代藩主となりました。乗寿は大坂の陣で戦功を挙げたことを賞され、1638年(寛永15年)に遠州浜松藩3万6000石へ加増されて移封しました。
松平乗紀
- 再興後の初代藩主: 1702年(元禄15年)に丹羽氏が越後高柳藩へ減移封となり、信濃小諸藩より大給松平氏の松平乗紀(まつだいら のりただ)が2万石で入封しました。乗紀は以後、岩村藩の基礎を固め、藩校文武所(のちの知新館)を設けるなど藩政の基礎を築きました。
藩の歴史や出来事
江戸時代初期
- 大坂の陣: 松平乗寿は大坂の陣で戦功を挙げ、1638年(寛永15年)に遠州浜松藩へ加増されて移封しました。代わって三河伊保藩より丹羽氏信が2万石で入封しました。
江戸時代中期
- 丹羽氏の治世と家中騒動: 丹羽氏信(にわ うじのぶ)の後、丹羽氏定(うじさだ)、丹羽氏純(うじずみ)、丹羽氏明(うじあき)と続きました。丹羽氏音(うじおと)の時代に家中騒動が起き、1702年(元禄15年)には幕府の裁許で氏音が処罰され、越後高柳藩へ減移封となりました。信濃小諸藩より松平乗紀が入封し、以後代々松平氏が治めました.
- 宝永地震: 1707年(宝永4年)10月4日に宝永地震により城郭が被害を受けました.
江戸時代後期
- 藩政改革: 松平乗美(まつだいら のりよし)の時代に藩政改革が行われました。しかし、1837年(天保8年)に領民の反対運動により改革は失敗しました.
明治維新期
- 大政奉還と上京: 1868年(慶応4年)に徳川慶喜が大政奉還すると、岩村藩主の松平乗命(まつだいら のりとし)は江戸にいたため、岩村と江戸とで藩論を二分する事態となりました。1869年(明治2年)に松平乗命は版籍奉還し、岩村藩知事に任じられました。
- 信州防衛と甲府守備: 1871年(明治4年)に岩村藩は苗木藩や尾張藩と共に信州防衛のため出兵し、松本を経て善光寺に到り守備に就きました。のちに信州防衛を免ぜられ、甲府守備に転じたが、ほどなく帰藩しました。
藩の終わり
- 廃藩置県: 1871年(明治4年)の廃藩置県により、岩村藩は岩村県となり、後に岐阜県に編入され、消滅しました。松平乗命は華族として東京移住し、岩村藩の歴史は終焉を迎えました。