西側登城口にある説明板
白鹿城跡
この城は、松江市の中心から北方4㌔の島根半島の山脈にある白鹿山(標高149・8m)に築かれた山城で、軍記物では白髪城とも書きます。すぐ北側の真山には、この白鹿城に対する毛利の向城として築かれた真山城があります。
城のはじまりはよくわかりませんが、戦国時代に尼子氏の本拠地であった広瀬の富田城を防衛する上で、この島根半島一帯は水運や軍事上重要であったため、白鹿城を築いて戦略拠点としました。
一方、尼子打倒と出雲制覇をもくろむ毛利勢は、元就をはじめ吉川元春、小早川隆景が自ら出雲に乗り込み、永禄五年(一五六二)宍道湖北岸の荒隅山に荒隅城を築き富田城攻略の向城としました。しかし、まず半島の拠点である白鹿城を落とす必要がありました。幾たびかの攻防戦の末、ついに翌六年(一五六三)十月落城しました。そしてこの三年後にとうとう富田城も毛利勢の手に落ちました。
今、城跡には本丸、月見御殿、水ノ手、井戸跡、一ノ床、二ノ床、三ノ床、大黒丸、小白城、高坪山、大高丸、小高丸と呼ばれる郭などの遺構が残り、当時使われた陶磁器やかわらけの破片が発見されています。平成九年三月
松江市
法吉・白鹿・真山の自然と文化を育む会
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