八剣神社北側に土塁があったとすれば、この細長い窪地は堀跡?境内を曲輪の跡と考えれば、なくはない……でも、土塁の内側に堀はないか……
堀切を挟んだ対岸が二郭に該当すると考えられます。対岸は月山・大日岳(だったと思う)の碑が立っており中には入れませんでしたが、土塁らしき遺構がこちら側からも確認できました。 因みにこの堀切は『宮堀』と呼ばれているそうです。
台地の南西隅、ここに主郭があったと考えられています。東側には折れを持った堀が二郭とを隔てていたようですが、現在は埋め立てられて確認できません。主郭一帯は墓地と農地になっており、南西端には土塁と思しき痕跡が僅かに残っているだけです。
小弓城と生実城の関係性が、最大の関心事ですが、ここの案内板の説明では以前の説が採用されてました。つまり、小弓公方滅亡後、その居城だった小弓城も廃城、その後生実城が築城され地域の城郭拠点も移転したという説です。しかし、生実城の発掘調査でかなり古い遺物が発見されたことや、修・改築の跡が見つかったことで、現在では同じ時代に双方使用されていたというのがポピュラーな説になっているようです。北条vs里見の各々の前線基地だったのかもしれませんね。
画像では分かりにくいですが、急勾配の坂です。
車のある方向に堀切があり、埋蔵文化財センターの台地と本城の台地を分断してます。北側の生実城への備えですかね?
参拝を名目に駐車場を利用させてもらいました。参道も長く、大きな御神木もあり、かなり立派な神社です。地元の方に大切にされているのがよくわかります。神社西側に大きな堀切と土塁の痕跡、北側にほぼ湮滅した土塁と堀の痕跡があります。
八剣神社の北側から撮影しました。ほぼ畑。まばらに家屋。広大さが伝われば良いのですが……
八剣神社北側に土塁があったとすれば、この細長い窪地は堀跡?境内を曲輪の跡と考えれば、なくはない……でも、土塁の内側に堀はないか……
道を挟んで2つの土壇。土塁を道が分断したとは考えられないでしょうか?
夏祭りがあるのかな?桟敷が設営されてました。
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