百間石垣の林道反対側を登っていくと北石垣や小石垣のエリアですが、立ち入り禁止となっており、ロープ越しの見学となりますし、かなりシダ等か茂っていて石垣が分かりにくいです。
道真公の曽孫である菅原輔正によって造営され、幾度かの焼失の後、慶長3年に筑前国の管理者としてこの地に赴任していた石田三成が再建。現在の楼門は大正3年に建てられたものだそうです。 三成さんの名前が出てきてびっくり。
重要文化財の御本殿が124年ぶりに(令和の大改修)をするに伴って、特別な仮殿が前に建てられています。ボリュームのある屋根がステキです。
南側の城門の太宰府口城門。巨大な門で、林道から見下ろしたとき驚きました。 礎石跡も下に見えています。 城域に城門は九ヶ所確認されています。
太宰府口城門跡の南西側にある水ノ手石垣。高さもあり、石垣には大きな岩も使われています。石垣前は堀のように大きくえぐれています。
城域にはいくつか城趾碑があるようで、焼米ヶ原のもの。
焼米ヶ原のある尾花地区は倉庫があったとわかる礎石跡が点在しています。 周りを囲むように土塁が蛇行していてステキな風景です。
武器や食料などを備蓄した高床式倉庫が地区内に碁盤目状に配置されていたとのこと。 礎石もはっきりわかります。
県民の守りセンターに貼ってあります。 散策していても広すぎてイメージがつかめないお城です。 100名城スタンプやパンフレット、マップなどもここでいただけました。
北向きの門、宇美口門の礎石。角柱用の礎石、っていうのがよくわかります。
大野城の城壁は基本は土塁ですが、谷間や起伏の激しい地形部分は石垣造りになっています。 とても素晴らしいのですが、かなりシダが生えているので、冬季に来る方が良いかも思いました。
大野城の城壁は基本は土塁ですが、谷間や起伏の激しい地形部分は石垣造りになっています。 四王寺川の部分も石塁となっています。
北石垣、小石垣のエリアは立ち入り禁止で間近で見ることはできないです。 登山道横に現れる西端付近は見やすいです。 百間石垣に劣らず、北石垣も全長45メートルあるそうです。
百間石垣の林道反対側を登っていくと北石垣や小石垣のエリアですが、立ち入り禁止となっており、ロープ越しの見学となりますし、かなりシダ等か茂っていて石垣が分かりにくいです。
北石垣の東端付近に位置します。門のすぐ外側が高さ約1.4メートルの石垣になっているので、普段ははしごや階段をかけて使用し、敵が来たときには外すことで城内への侵入を阻む懸門という構造であったと考えられています。 ロープがあり立ち入り禁止となっているエリアです。
草木がなければ向いの崖地形部分に小石垣が見えます。 小石垣エリアも立ち入り禁止エリアで近くでの見学ができなくなっています。
増長天礎石群はとても整備されています。奥に見えているのは内側の土塁で、大野城は北と南側だけ二重土塁になっています。
増長天礎石群の近くの湧水の出る池で、枯れることがないそうです。
各区画ごとの段差部分も石垣があり、びっくりしました。
大野城の城壁は基本は土塁ですが、谷間や起伏の激しい地形部分は石垣造りになっています。
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