中央付近の鉄塔辺りから城郭で、空堀と土塁が道路脇に現存しています。
旧沼田街道が城郭に入ってますが、馬出曲輪は監視の役割でも果たしていたのでしょうか?
かなりの大きさがあります。
見ての通り倒木がありますが、保存会の方たちが注意喚起の紙を張ってます(写真右側の倒木)。
写真右中央部に車が見えますが、そこが三の丸跡前の駐車スペース(小型車2台分)です。
県指定史跡 長井坂城跡 指定年月日 昭和五十五年九月十六日 所在地 渋川市赤城町棚下 利根郡昭和村永井 旧沼田街道の長井坂にあり、北は永井の沢の急崖、西は利根川の断崖に臨む断崖城で、南北二百六十メートル、東西百八十メートルほどの囲郭式の山城である。 西端の断崖上に三方を高さ2.5mの土塁によって囲まれた本郭がある。 「加沢記」によれば、永禄三年(一五六〇)長尾景虎(上杉謙信)が関東出馬の際に長井坂に陣を張り、降伏した沼田顕泰(万鬼斎)を引見したとあることや、城郭構造からみて、永禄期以降の築城と考えられています。 天正の初めに北条氏の持城となり、近隣の地侍集団が城番を勤めました。 天正六年(一五七八)真田氏が沼田城を略取すると、長井坂城が鉢形城を核とした北条方の北方最前線の要となって、北条・真田両氏激突の攻防が繰り返されましたが、天正十八年の小田原城の落城とともに廃城となりました。 群馬県教育委員会 渋川市教育委員会 昭和村教育委員会 (案内板より抜粋)
写真中央の道を上がると城跡です。見ての通り幅が2m位しかないので、車で通行の際は注意してください。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する