城址の北西にある無料駐車場です。 以前は大型バス専用でしたが、現在は普通車も停めれるようになっています。 利用時間は8:30~18.00で博物館休館日は利用できません。
新しい標柱が建っていました。 新しい標柱の中には古い石柱が収まってるものもあります。
新しい標柱が建っていました。 新しい標柱の中には古い石柱が収まってるものもあります。
新しい標柱が建っていました。 新しい標柱の中には古い石柱が収まってるものもあります。
新しい標柱が建っていました。 新しい標柱の中には古い石柱が収まってるものもあります。
福山城はリニューアルにあわせて至る所で伐採など整備されたようで、この辺りは以前とかなり様変わりしていました。
御湯殿は空襲で焼け、天守と共に1966年に再建されたものです。(明治初期に料亭に改築された後の姿での再建されたようです。) 元の御湯殿は伏見城からの移築とされており、文献によると徳川が関ヶ原合戦後に再築した伏見城からの移築で、葵の紋が使用されていたようですが、再建されたこちらの扉には豊臣の五七桐紋が使われています。
リニューアル前は手前の芝生エリアには遊具や池などがありましたが撤去してあり、また天守前などはもっと大きな木が植えられていましたがさっぱりしています。 また手前の石碑は元々は「伏見御(崩し字)殿」跡」と刻まれていましたが”殿跡”の上の部分が無くなっていました。(前に来たときから一度折れたような跡がありました。)
鐘櫓の隣の櫓です。
福山駅が目の前です。
御台所門跡は埋め立てられているので、本丸側からだと分かり難いです。
「神辺一番櫓跡と櫓群」の案内板より
改変されてイメージが湧きにくいですが西坂口門は櫓門でした。
改変されてわかり難いですが、坂を登って右側に櫓門が建っていたようです。
こちらの石垣は崩されてしまっています。
御台所門は西側から本丸に登る櫓門でしたが現在は入口自体石垣で埋められ封鎖されています。
画面下の土塁状のところにかつて「西帯曲輪門」がありました。 史料が少ないため形状は不明ですが櫓門であったようです。
鹿角菜は標柱のように「フノリ」と読む場合、糊や土壁の材料になる海藻のことです。 また「ヒジキ」と読むこともでき、ヒジキ櫓と解説しているものも見受けられます。こちらは皆さんお馴染みの食用の海藻です。
写真左の石垣上には「鹿角菜櫓」がかつては建っており、その横に櫓門が続いてありました。 右の見切れている石垣上には櫓門に続いて多聞櫓、そして東坂三階櫓があり、東側の登城口を守っていました。
中央の階段は改変によるものです。
福山城の北側にはこの天神山などがあり、防御上の弱点(高地からの砲撃)とされていました。 そのため福山城天守北側には鉄板が張られたとされています。
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