正確な建築年代は判っていないそうですが、江戸後期の築だそうです。
金山神社北西側には、代官堀と呼ばれる水路があります。
代官堀があると聞いて、探し回って辿り着きましたが、この堀は灌漑用の水路でした…(^_^;)
築地塀との接続部分、画像の出格子の上あたりに、忍び返しが付いています。
南西面に比べてかなり埋もれてしまっていますが、堀幅はほぼ同じ規模です。
県道57号線をさいたま市から指扇駅へ向かうと、この押しボタン式信号に出ます。この信号を右折すると左斜め前方に長屋門と築地塀が現れます。 信号を右折してすぐ左手に駐車スペースがあります。
立派な山門ですが、震災前は両脇に築地塀が控えていたそうです。
広い境内に大きな本堂。南側には馬宮東小学校も隣接しています。
北東から南東へと湾曲した通路と、その北側には池が。馬出しと見れなくもないですね。
正確な建築年代は判っていないそうですが、江戸後期の築だそうです。
随分浅くなっていますが、南西面と北東面の水堀はしっかりと残っています。
後世の改変でしょうが、それでもなかなか、風情があります!
県道57号線、馬宮コミュニティセンターと道を挟んで並行に残っています。 画像の永田医院・永田歯科の看板の背後です。
陣屋から南西へ100mほどのところに鎮座まします。神社北東100mほどのところには高城寺もあり、神社前の道路は昔の街道筋だったのかもしれませんね。
立派な門ですが、傷みが心配です。重い瓦と釣鐘を細い柱が支えています。
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