大塚城
大塚城

[大阪府][摂津] 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.71(--位)
  • 見学時間:28分(--位)
  • 攻城人数:290(348位)

英雄になった真田幸村

英雄になった真田幸村
hiro.E

茶臼山頂上にあります。
「真田は日本一の兵(つわもの)。真田の奇策は幾千百。そもそも信州以来徳川に敵する事数回、一度も不覚をとっていない。真田を英雄と言わずに誰をそう呼ぶのか。女も童もその名を聞きて、その美を知る。彼はそこに現れここに隠れ、火を転じて戦った。前にいるかと思えば後ろにいる。真田は茶臼山に赤き旗を立て、鎧も赤一色にて、つつじの咲きたるが如し。合戦場において討死。古今これなき大手柄」
 夏の陣で幸村の武神ぶりを目の当たりにした島津家当主・島津忠恒の手紙の内容にはこう記されていました。大坂の陣の後、家康は首実検(※討ち取った敵の首を確かにそのものの首かどうか大将が自ら検査したこと)の際に「幸村の武勇にあやかれよ」というと、居並ぶ武将たちがこぞって遺髪を取り合ったそうです。家康は「幸村の戦いぶりは敵ながら天晴れであり、江戸場(城?)内にて幸村を誉め讃えることを許す」としたそうです。
 これは極めて異例なことであり、その幸村の戦いぶりに同じ戦国武将として感嘆していたのでしょう。又、兄の信之は「柔和で辛抱強く、物静かで言葉も少なく、怒り腹立つことはなかった」「幸村こそ国を支配する本当の侍であり、彼に比べれば、我らは見かけを必至に繕い肩をいからした道具持ち。それ程の差がある」と語っています。戦場での幸村のイメージとはかなり異なりますが、普段は温厚なのに戦では我が身を張って強烈なリーダーシップを発揮するそんな幸村の人柄に惚れ集まった浪人集(衆?)は多くその結束力は強かったようです。事実戦局不利と見るや身内でも裏切り者が珍しくない戦国の世に幸村の家臣は誰も降参しなかったと言われています。これも幸村の高い人徳の賜物でしょう。庶民からも歌舞伎・講談のヒーローとされましたが幕府はこれを禁じなかったそうです。
 保身や利害よりも武士としての誇りを身をもって体現した本物の侍。武士があこがれた武士。それが真田幸村です。
 戦いに敗れた武将がこれだけ英雄としてとりざたされるのはおそらく幸村ぐらいでしょう。

   

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赤ヱ門さん)

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