高取藩御典医の末裔の方が営まれている皮膚科病院です。見学のために診察を受けたいと思ってしまいました。
天守台の下にあります。
この天守台の美しさは、堪りません。
何故かしらこの新櫓台と太鼓櫓台に惹かれるものがあります。
本丸に井戸があれば、安心ですね。
綺麗です。
補強の跡が見られます。
少しせり出しています。
七ツ井戸から攻城するとまず、この新櫓台が目に入ります。
大分、傷んできております。
境内から撮影しました。
土佐街道に面する伊勢屋屋敷跡が観光駐車場となっており、無料です。
この門を入ると本丸下郭となります。
大手門跡からこの吉野口門跡までの間にある侍屋敷跡は、すっかり森に変わっております。
高取町森372番地にあります。
小さなベンチがあります。
ごく僅かですが登城路の山側谷側に登り石垣が見られます。写真は谷から見上げた登り石垣です。
右手は登り石垣、左手は橋脚代わりの石垣です。木橋跡は埋め立てられて、石垣石で補強されています。
この傾斜が堪らないです。
もはや自然と一体化しています。
午前中での撮影のため、光と陰の強弱が強いです。
右端は新櫓台なのですが、木々でよく見えません。
鉄壁の守りです。
木々の紅葉が最高でした。
与力窓(格子が横向き)が2つある珍しい長屋門です。
現在も居宅として利用されているそうです。
仮設トイレが2基あります。ここから壺阪口門、大手門を経由して本丸に行けます。
見た目は急ですが、本丸まで、最短で到達することができます。
井戸は4つしか確認出来ませんでした。
この谷を掘れば、簡単に水が得られるからして、次々と井戸があるのでしょうね。
井戸は、石で組まれています。
二ノ丸御殿跡には、東屋が設けられています。
紅葉がとても綺麗です。
青空がとても綺麗でした。
青空がとても綺麗でした。
このように隅石を綺麗に揃えていると、とても見栄えがします。
本丸内の天守台石垣は、見られることを意識していないようで、矢穴の痕が多く見られます。
奥のせり出した部分が小天守台です。
補強された部分も本丸石垣と一体化しております。
奥のせり出した部分が天守台です。
どの方向から見ても美しいです。
石垣崩壊につき落石注意の看板がありました。
左側が二の丸下段で、右側が城代屋敷跡です。この道を進むと壺阪口門に行くことが出来ます。
大手門脇に立っております。
古写真と同じアングルで撮影しました。
大手門から吉野口門までの間は、手入れがなされておりません。
奥にビシッと堀切が見られます。
良い感じに切れてます。
備中松山城と同じく両脇に石垣が設けられており、木橋が架かっていたかと思われます。とても感動して、良い写真を撮るのを忘れました。
本丸側の石垣が陰に隠れています。当時は、紅葉がとても綺麗でした。
奈良盆地が良く見えます。
城下からここの石垣が見えるそうです。
このような高地によく水堀を作ったもんだと感心しました。木橋跡から撮影しました。
木々の生命力には、驚かされます。
二の門付近にあります。アマチュアカメラマンが沢山、この猿石の写真を撮っていました。
平日にもかかわらず、ハイカーが沢山、攻城にかられていました。
七ツ井戸から撮影しました。
美しい景観が保全されています。
地元の篤志家が保存してくれていたことから、公開に繋がりました。有難いことです。
公園内から撮影しました。
邸内に監視窓の格子が見られます。
現在は、藩主末裔で高取町長の植村さんがお住まいです。
とても重厚な感じがします。
なまこ壁が良い雰囲気を醸し出しています。
このから登山道となります。
火薬櫓は民家に移築されており、左手の土壁の倉庫が火薬櫓です。かなり朽ちてきております。大手筋から撮影しました。
大手筋から撮影しました。高取町上子島148番地にあります。
土佐街道沿いにあります。この先、高取城側にはトイレはありません。
写真などが残っているのですから、復元して欲しいですね。
奇跡的に残っております。
高取町森372番地にあります。
立派です。
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