西の丸(稲荷曲輪)から見上げた本丸石垣。
当時はここは木橋で、正面に「定ノ門」と呼ばれる高麗門(一の門)があった。
横断歩道をわたって反対側(駅側)まで下がると、背後に巽櫓がよく見えます。
右に見えている石垣は東不明門跡。
クルマや自転車が通るのでカラーコーンとかチェーンとかはどうしても写っちゃいますね。
奥に見えているのは東の丸入口のところの石垣。
東の丸から北の丸への連絡通路。
本丸と二の丸をつないでいた門。当時は木橋がかけられていた(現在は埋め立て)。
番ノ門の櫓門があった石垣と、その後ろに見える巽櫓。
午前中なので思いっきり逆光でした。
後ろに見えるのは坤櫓。
もともとは伏見櫓からの移築だそうだけど、焼失後の再建で城内側が簡素なつくりになったのかな。
西の丸(稲荷曲輪)や剛ノ池に抜ける門。
西の丸(稲荷曲輪)から見上げた本丸石垣。
西の丸(稲荷曲輪)から見た天守台石垣。
手前が坤櫓、奥が巽櫓。ほんとはもう少し後ろに下がって撮影したいところだけどここが限界だった。
明石球場のライトスタンドから撮影。球場は江戸時代の藩主屋敷があった場所なので、殿様が見上げた櫓はこんな感じに見えたはず。
1塁側内野スタンドから見た坤櫓と巽櫓。
石垣を覆い隠している木は伐採されるはずなんだけど、いつやるんだろう。
一日に何度かロボットが叩きます。ちょうど正午だったので叩いてるところを見れました。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する