桂城に設置されている案内板の内容を紹介します。
桂城跡
町史跡指定 一九六八(昭和四三)年九月一日
桂城跡は、標高ニ九五m・比高八〇mで中山城または三笠山城とも呼ばれていた。毛利氏普代の桂氏の居城で、十六世紀初頭頃坂氏から分家した広済がこの城に入ったとされる。
城郭は西・中央・東の三群に分かれる。
西郭群は背後を堀切で区切って北・南西方向に延びる尾根上に小郭を配したもので小規模な城の体裁をなしている。
中央郭群は独立丘陵の最高所に位置し、北東に延びる尾根上に堀切と郭を並べており、見張り所的なものと考えられる。一九九六(平成八年)七月
吉田町教育委員会