五竜橋の横に駐車場があります。簡易トイレと案内板があります。道の反対側にも舗装してある駐車スペースがあります。
登城口に案内板があります。鳥居をくぐって登っていきます。
登城路は尾崎丸まではかなり急です。この石段を登ると尾崎丸です。
右側が櫓の段です。
土塁の外側は、堀切になっています。
右に行くと釣井の段です。井戸がありますが、草でよく見えません。まっすぐ行くと一位の段です。
石積みの上が三の丸です。
土塁の横は、石を積んでいます。
横に石を積んでいます。右に行くにつれて低くなっています。
高くはありませんが一直線に並んでいます。
石積みの奥の土塁の向こうはたかさが20メートルぐらいある堀切になっています。
石積みは、とても崩れやすそうです。いつまでも残ることを願います。
土塁の左側が本丸、右側が堀切になります。木につかまって降りていきましたが、垂直なところを降りていくような感じでした。落ち葉ですごく滑るので降りる場合は気をつけてください。
右側が本丸です。この堀切より奥は、整備されていません。倒木が多く途中で引き返しました。
両側から石を積んでいます。右の本丸外側は、1〜2メートルの石積みがあります。
尾崎丸にある神社の裏側になります。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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