機種名 | Apple iPhone 14 Pro |
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ISO | 40 |
F値 | 2.2 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | 1/383 |
レンズ焦点距離 | 2.2 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、強制発光モード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/383 |
画像方向 | 水平(標準) |
山吹城跡(やまぶきじょうあと)(要害山(ようがいさん))
戦国(せんごく)時代、30年あまりに及(およ)ぶ石見銀山(いわみぎんざん)の激(はげ)しい争奪戦(そうだつせん)の間、毛利氏(もうりし)が銀山を支配(しはい)する永禄(えいろく)5年(1562)、大久保長安(おおくぼながやす)が銀山奉行(ぶぎょう)となる慶長(けいちょう)5年(1600)などを大きな節目(ふしめ)として、山吹城(やまぶきじょう)は何度か改修(かいしゅう)されながら、石見銀山支配の軍事的な重要拠点(きょてん)としての役割(やくわり)を果(は)たしました。
山吹城の施設(しせつ)は山の全体に広がり、特に山頂(さんちょう)部には主郭(しゅかく)を中心に竪土塁(たてどるい)・空堀(からぼり)・石垣(いしがき)などが集中しています。主郭は長方形で南北52m、東西32m、主郭の南北に郭(くるわ)(平坦地(へいたんち))が階段状(かいだんじょう)に連続しています。空堀は幅(はば)10mで主郭と堀との高低差が6mと深く、堀には木橋(きばし)がかけられていた可能性(かのうせい)があります。南側の斜面(しゃめん)にある連続竪堀(たてぼり)は19本以上あり、戦国大名尼子氏(せんごくだいみょうあまごし)が銀山と山吹城をおさえた時に築(きず)き、北側の郭にある竪土塁は毛利氏が築いたと考えられます。また主郭の北側の虎口(こぐち)には石垣を設(もう)け、周りからも城の存在(そんざい)が目立つようにしています。
以前は山門右手前に、山吹城城門という標柱があったようだが今はない。傍にある説明板には、龍昌寺で1604年に新築と推定とあり、現時点では移築門とはみなされていない模様。
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