越前に山伝いで続く補給路で、手前は、小さな堀切です。
小谷山(大嶽城)の東尾根筋から見た城址です。
この石段を登れば、大広間跡です。
奥に見える高台が本丸跡です。
朝倉氏の築城技術は、独創的で素晴らしいです。そう言えば、大学の同期が朝倉氏の末裔で、徳川将軍家に遠慮して、朝倉の「朝」の字を変えて、現在に至るとのことです。
白色の案内板の奥に大広間の井戸があります。
大広間跡から撮影しました。石垣が見られます。
本丸の大広間側に残る石垣です。
小さな石垣で囲まれた区画が2つあり、水堀ではないかと言われております。
土塁で囲まれており、中央に井戸が確認されたとのことです。
重臣赤尾氏の屋敷跡と伝えられています。本丸の東にあり、赤尾氏の地位の高さが分かります。
桜馬場は、東西に2段に分かれており、写真は東側上段です。
西側下段には、建物の礎石が、発掘されたそうです。
平時の居館、家臣団の屋敷があった清水谷(きよみずだに)です。城址は右手の山で、正面の高い山が大嶽城跡になります。
とても分かり易いです。
清水谷の追手道入口に簡易トイレがあります。これより、城址にはトイレはありません。
約200メートル先に防獣柵があり、針金で扉を閉めるタイプとなっております。
長浜市小谷郡上町139番地にあります。
無料です。
林道が細いために、歩行者は通行出来ません。
本丸跡と中丸跡との間にあります。
舗装の終点が攻城口です。もちろん、防獣柵があります。
本丸の西側に残っています。中丸跡から大広間方向に撮影しました。
三段の曲輪から成り立っております。
残っている石垣で、枡形虎口であったことが分かります。
比較的大きな石も使われております。
とても良く残っており、迫力があります。
山王丸と六坊との間から撮影しました。昔の小谷城の主郭ですが、ご覧の通り、山王丸などがある東峰より高く、水の手で難儀するのがお分かり頂けるかと。
浅井氏は、支配地での軍務や政務を担当させていた寺院を城内に引き入れ、指示・命令が迅速に伝達出来るようにした、簡単に言えば6つの寺社の出張所跡です。
六坊跡と大嶽城との間にある竪堀を挟むように少し高い位置(大嶽城の山裾)にある石垣です。規模からして番所跡のような感じがします。
写真では、分かりづらいですが、現地では、はっきりと分かります。
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