膳城
膳城

[群馬県][上野] 群馬県前橋市粕川町膳


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.22(--位)
  • 見学時間:33分(--位)
  • 攻城人数:180(585位)

膳城跡の案内板

膳城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

群馬県指定史跡
膳城跡
 膳城跡は、兎川と湧水による湿潤な谷地の間の丘陵性台地の先端部に位置する。南北約550m、東西約300mほどの範囲の中に濠や土塁をめぐらし、本丸の他、数区画からなる郭(くるわ)を形成している。
 この城の築城年代は明らかではないが、鎌倉時代の文書に既に「善」氏の名が見える。しかし、この膳城に居城していたかについては明らかではない。その後、室町時代から戦国時代にかけての文書にも「善」氏は度々登場する。戦国時代には、関東地方の覇権をめぐる北条、上杉、武田の戦記物に度々「膳」な名が現る。現在見ることのできる膳城の姿が形成されたのは、この戦国時代末期と考えられる。特に天正8年(1580年)武田勝頼による東上州進攻の際の、膳城をめぐる攻城戦は「膳城素肌ぜめ」として著名である。
 膳城はこの戦いの後、廃城となったと伝えられる。本丸周辺の濠、土塁等は当時の姿を良く残している昭和24年3月11日指定 群馬県教育委員会
前橋市教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

膳城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る