瀧川(たきがわ)城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
瀧川(たきがわ)城跡
本城跡は、瀧川一益(たきがわ いちます / かずます)が居城したことから、瀧川城と呼ばれ、またこの地の名称から五反田城とも伝えられる。
瀧川一益は、甲賀大原荘に生まれ、十六才まで在住した後、織田信長の配下に加わる。石山本願寺攻め、伊勢長嶋一揆鎮圧者として武勇をあげ、信長四天王の一人に数えられる。後には、関東一円を支配する管領となるが、元亀元年(一五七〇)信長の近江守護六角追討と六角支援の甲賀武士を攻める大将に選ばれ、故郷の親類、同朋を攻めることとなり、戦国時代の世の下剋上と悲話を物語る城跡である。甲賀町教育委員会