竹中氏陣屋跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
竹中氏陣屋跡及び櫓門(やぐらもん)
竹中半兵衛重治公没後嫡男の重門(しげかど)が菩提山城を廃して構えた陣屋(『竹中家譜』「菩提山之城を下り、岩手作館居之」)の正門である。東側が正面で、大手の間口六間、奥行き三間木造の白壁塗りの櫓門となっている。
- (岐阜県史跡 昭和三十一年三月二十八日指定)
門の西側に千六百三十六坪にわたる陣屋が形成されていた。(東辺十間五尺、北辺三十七間半、西辺三十六間一尺、南辺四十ニ間2尺)菁莪(せいが)記念館の復元模型をご覧下さい
当櫓門は明治新政府により学制発布により明治十四年に現在の岩手小学校の前進である『菁莪義校(せいがぎこう)』の正門として位置づけられてきた。(「菁莪」とは中国最古の『詩経』より[有能な人材を育成するの意])
明治新政府の「幕府建造物破壊令」に対し高橋弥八郎氏等が「櫓門は菁莪学校の正門」であると主張し地元文化財としての存続に尽力され現在に至る。城(陣屋)の門が学校の門になっている学校は全国でも極めて稀で貴重な史跡となっている。