浄福寺城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
市指定史跡浄福寺城跡(新城)
浄福寺城は別名新城、千手山城などと呼ばれ、関東山地から続く丘陵尾根の東端を利用して築かれた山城です。この城については不明な点が多く、築城年代は定かではありません。築城者は江戸時代の地誌によると、大石氏といわれています。
- 所在地
- 八王子市下恩方町三二五九
- 指定年月日
- 昭和四十七年一月二十七日
大石氏は木曽義仲の子孫といわれ、関東管領上杉氏の武蔵守護代を務めた多摩地域の有力領主です。高月城や滝山城なども築城したといわれています。
城跡には尾根を切って作られた堀切や段上に作られた曲輪など多くの遺構が見られ、中世城郭として、また大石氏の経緯を知るうえにも貴重な城跡です。平成二十五年三月二十八日
八王子市教育委員会
市史跡浄福寺城跡
浄福寺城は関東山地から連なる標高356mの尾根を利用して築かれた山城で、南側には北浅川が流れています。城の高低差は約160mもある要害の城です。
尾根頂上部に主郭を配し、ここから四方にのびる尾根を堀切り、ところどころに小さな曲輪を造作し、居住に適した広い面積をもつ曲輪を設けず、防御のみに徹した縄張りをしています。
築城については不明な点が多く、『武蔵名勝図会』によると関東管領上杉氏の武蔵守護代であった大石氏といわれています。近年の研究では、大石氏に養子に入った北条氏照の初期の居城とも、八王子城の搦め手に位置することから八王子城の出城ともいわれていますがはっきりとはしていません。しかし、中世の八王子を知るうえで貴重な城跡です。平成25年3月 八王子市教育委員会