国分城
国分城

[鹿児島県][大隅] 鹿児島県霧島市国分中央2-5-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.82(--位)
  • 見学時間:23分(--位)
  • 攻城人数:79(1409位)

国分城の石碑

国分城に設置されている石碑に書かれた内容を紹介します。

舞鶴城跡
 別名、国分御屋形跡(おやかたあと)、国分新城とも呼ばれている。
 島津義久は、慶長九年(一六〇四)富隈城から移居し、慶長十六年七十九歳で死去するまで在城した。後に義久の三女の亀寿姫(かめじゅひめ)が寛永七年(一六三〇)死去するまでの二十年間をこの城で過ごした。
その後、この城の隣接地に地頭館(じとうかん)がおかれ、清水・襲山(現在の重久)・敷根の各地頭館と並んで、国分郷の政治と警備の中心として幕末に至っている。
 舞鶴城は山城の南麓に造営され、平時は軍事・行政が執行されるが、戦時になると、城山(隼人城)に立籠もるという方法がとられた。築城の際、山麓一帯(現在の市街地)も城に合わせて区割りを行い、碁盤目のような整然とした町並みは現在の市街地の基盤となっている。国分市
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

国分城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟

中の写真、図が多くて「読みやすそう」と手に取りました。家康を生んだ松平氏について、戦国大名徳川家康の苦悩、家康を支えた家族、家臣団についてなど最新の情報で詳しく著されています。大河ドラマの予習としてもいいですが、「ここはこう解釈されたのか」と復習しながらよむのも一興です。今まで定説になっている「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康像とは、少し違った家康像が見えてきます。

黒まめさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る