国分城
国分城

[鹿児島県][大隅] 鹿児島県霧島市国分中央2-5-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.13(--位)
  • 見学時間:23分(--位)
  • 攻城人数:73(1456位)

国分城の石碑

国分城に設置されている石碑に書かれた内容を紹介します。

舞鶴城跡
 別名、国分御屋形跡(おやかたあと)、国分新城とも呼ばれている。
 島津義久は、慶長九年(一六〇四)富隈城から移居し、慶長十六年七十九歳で死去するまで在城した。後に義久の三女の亀寿姫(かめじゅひめ)が寛永七年(一六三〇)死去するまでの二十年間をこの城で過ごした。
その後、この城の隣接地に地頭館(じとうかん)がおかれ、清水・襲山(現在の重久)・敷根の各地頭館と並んで、国分郷の政治と警備の中心として幕末に至っている。
 舞鶴城は山城の南麓に造営され、平時は軍事・行政が執行されるが、戦時になると、城山(隼人城)に立籠もるという方法がとられた。築城の際、山麓一帯(現在の市街地)も城に合わせて区割りを行い、碁盤目のような整然とした町並みは現在の市街地の基盤となっている。国分市
   

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全国 御城印 大図鑑

御城印を集めるということには、あまり興味なかったのですが、攻城団のはじめての出版本ということで常購入いたしました。購入前の想像を覆す、それぞれの城の簡潔明快な説明文と共に、それぞれの城独自の御城印が面白く、食わず嫌いだったことに反省させられました。多くの人達が夢中になるのも納得です。僕みたいに、あまり御城印に興味なかった人、城に関して興味のなかった人、そしてお城訪問したい初心者にも、とても親切で、新しい世界に招き入れてくれるステキな本を手にしました。次の城からは、御城印に手を出してしまうかもしれない自分を感じます。

片桐且元さん)

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