山入城
山入城

[茨城県][常陸] 茨城県常陸太田市国安町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.89(--位)
  • 見学時間:45分(--位)
  • 攻城人数:59(1828位)

山入城跡の案内板

山入城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

山入城跡
 この山は要害(ようがい)山と称し、この頂上(標高一九一・三メートル)に「山入城(国安城・くにやすじょう)」があった。
 この城は、延元年間(一三三六~四〇)西野民部大夫温通(にしのみんぶだゆうはるみち)がはじめて築いたといわれ、のちに山入師義(もろよし)(佐竹貞義(さだよし)の七男)が修築して居城したと伝えられている。師義は、山谷に住んだということから世人が山入と呼んだので山入氏を名乗ったとも言われている。
 その後、佐竹(さたけ)本家の養子縁組のことから佐竹氏・山入氏の間が不和になり、両家はことごとに争うようになった。
 山入氏は、山入城を拠点として佐竹氏に対抗した。「上杉禅秀(ぜんしゅう)の乱」の時も、山入城によった山入与義(ともよし)(師義の二男)が佐竹氏の攻撃にあった。
 そして、七年後、佐竹氏に攻略され、ついに応永二十五年(一四一八)落城した。
 しかし、山入氏は文明十年(一四七八)頃、ふたたび勢力を挽回し、与義の孫の山入義真(よしざね)(久米城を占領した義知(よしとも)の弟)は、山入城で態勢を固めて、佐竹氏に対抗した。義真の子で山入義藤(よしふじ)・氏義(うじよし)父子も本家の佐竹義舜(よしきよ)を攻め、太田城を奪ってここに住した。まもなく、義舜の反撃に遭い、氏義は捕らえられた。平成十年九月 常陸太田市教育委員会
常陸太田市文化財保護審議会
   

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今日のレビュー

関西の城あるき (エルマガMOOK)

見たところ、チープなつくりのように感じますが、中身は結構濃いです。
関西が世界に誇る姫路城を始めとする国宝3城、その他の名城、山城の見所、立ち寄り所も掲載されている城専門のガイドブックです。サイズ的に、持ち歩きにもぴったりです。山城では、本郭までの目安時間も書かれていて、計画に便利です。少し足を伸ばした遠征城攻め旅についても書かれています。
その他現代にも受け継がれている「穴太衆」のこと、国宝5城の城もなかなど、興味をそそられる記事もちりばめられています。中でも、最後の城取材後記がとても面白かったです。

黒まめさん)

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