阪急神戸線の線路沿いにある、武田薬品工業・大阪工場の正門横に石碑があります。
大阪市顕彰史跡第198号堀城跡伝承地(淀川区十三本町付近)
室町時代後半(16世紀)に築城された城で、元亀元(1570)年の織田信長による野田・福島攻めでは将軍・足利義昭が入城した。現在、かつての城郭を示すものは地表に見ることはできない。大阪市教育委員会
堀城跡伝承地(淀川区十三本町付近)【大阪市顕彰史跡第198号】
西国街道筋にあたる十三渡(じゅうそうのわたし)北岸の要地にあった城で、『西成郡史』(1915年刊)では永禄9(1566)年に細川藤賢(ふじかた)が築城したとされる。しかし一節には、享禄4(1531)年の「大物(だいもつ)崩れ」合戦の時にはすでに存在していた堀城にあてる見解もある。
江口の戦い(天文18(1549)年)の時には細川晴賢(はるかた)が居城とし、その後、勝者の三好長慶の直轄下に置かれた。長慶の没後には細川藤賢(ふじかた)が在城したが、永禄9年に三好三人衆によって無血退城させられた。元禄元(1570)年の織田信長による野田・福島攻めに際しては、将軍・足利義昭が入城したという。
廃城後も周辺の樹木は残り「堀の森」と呼ばれた。現在地南西方向にある十三公園の巨木はその名残と伝えられている。