赤塚城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
かつての赤塚城は現在、東京都立赤塚公園の一部として整備されています。
赤塚溜池公園の池は、赤塚城の外堀跡です。
赤塚城跡と徳丸ケ原
赤塚城跡は、この公園の南の台地上に位置する室町時代の城跡です。現在は、大部分が都立公園となっており、城山、お林山などとも呼ばれています。
ここは、康正二年(一四五六)に千葉自胤(よりたね)が入城したと伝えたれ、現在でも空堀や土塁の跡を見ることが出来ます。北、東、西の台地の三方は、自然の谷で区画され、北側の溜池(ためいけ)は、それらの谷のしみだし水をたたえています。
城跡の北側に開ける高島平は、江戸時代、徳丸ケ原と呼ばれた原野でした。ここで天保十二(一八四一)、高島秋帆(しゅうはん)が洋式の砲術訓練を行ったことが、高島平の地名の由来となっています。明治時代以降は開墾(かいこん)され、徳丸田んぼと呼ばれる一面の水田地帯となりました。この時溜池の水は、灌漑(かんがい)用水として利用されています。
高島平団地の開発が始まったのは、昭和四〇年代に入ってからのことです。
平成一〇年三月板橋区教育委員会