本丸北西の下に石垣を伴う極小の曲輪があります。
石垣は喰い違いのようになっています。
東麓から車道が造られており太鼓丸・本丸下を横切って鎮守丸にある駐車場まで車であがれます。本丸はテレビ塔に、鎮守丸、二の丸、爺が段には芝生が植えられ公園に、三の丸は「昆虫の森」として雑木林となっています。 南麓には水堀跡の池が残っており、水堀の先に大手枡形、茶屋敷があったようです。
矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
右側に鎮守丸の由来と思われる「経王大菩薩」の社が見えています。 左側のアスファルトは駐車所です。
スロープは公園整備でつけられたものです。案内板には井戸跡が書かれていますが見つけられませんでした。(爺が段にはありました。)
二の丸東側には3段の腰曲輪があります。
二の丸南側にも腰曲輪が続いています。
爺が段から三の丸。柵の先に藪が広がり狭く見えますが、藪の下にも曲輪が半円状に広がっています。 また、奥(南)に延びる尾根上には石垣が残る曲輪が数段続いています。
二の丸と三の丸に挟まれた広場です。井戸跡があります。
三の丸の南尾根には石垣を伴う曲輪群が連なります。 ただ、これらの曲輪や石垣は後の畑作のものである可能性もあるようです。
上から3段目と4段目の境の石垣です。 矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
上から4段目と5段目の境にある石垣です。 矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
上から6段目の西側側面と7段目との境の石垣です。 矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
6段目と7段目の境の石垣です。 矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
矢掛茶臼山城は畑地になっていたこともあって、曲輪や石垣類が当時の物か判別しにくいそうです。
三成陣屋や矢掛本陣方面です。
鎮守丸側からも本丸へ登れる道があります。
本丸の西側、南側は石垣が施されています。
本丸の北西下には石垣を伴った極小の曲輪がありその脇に竪堀があります。
本丸北西の下に石垣を伴う極小の曲輪があります。 石垣は喰い違いのようになっています。
テレビアンテナ施設が建っています。
西側の折れ部分を上から
本丸の西側と南側には石垣が施されています。
本丸への北側からの登城道です。 太鼓丸は本丸から南東に延びる尾根に大小4つの曲輪がありますが、道路で分断されています。
本丸から南東に下りたところです。 太鼓丸は本丸から南東に延びる尾根に大小4つの曲輪がありますが、道路で分断されています。
本丸下の北側、東側には帯曲輪が巡っています。
太鼓丸は本丸から南東に延びる尾根に大小4つの曲輪がありますが、道路で分断されています。
車道脇から
車道から。 この曲輪のさらに下に大きな曲輪があるようです。
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