城址の南側を流れ外堀の役割を持っていたのが桂川です。 城址の岩壁が目立ちますが、こちらの断崖も相当なものです。 まさに「要害」です。
これからここを登るのかと思うと震えました。 中央の岩肌の下付近にちらりと見える黄緑色のくねくねが登城道だったりします。
土砂崩れの法面工事は終了していたようですが。まだ駐車場や登城道の一部は使用できませんでした。
入口は岩殿山公園駐車場からさらに170mほど国道139号線を上がったところにあります。近くには停めるスペースはないので大月の町中で駐車スペースを確保してください。
この門付近の地下には中央自動車道(岩殿トンネル)が走っていたりします。
崖崩れでふれあいの館への道が変更になっており、沢側を通るようになっていました。沢側なので少し道がぬかるんでいました。
「ここから攻める奴はいないだろ。」って思う側からのまさかの攻城です。
パンフレットの裏面の地図には大手門と書かれていますが、実際の岩殿城の大手門は表側の案内図に書かれている築坂方面の大手門の位置になります。 当時この門を通ってふれあいの館へ行くルートは通行止めになっていました。
丸山公園内にぽこっと出ているこの場所が丸山の山頂と言うことです。
登城道はコンクリート製の階段のつづら折りになっています。 登りやすいですが足にはきます。
城址と稚児落としとの分岐点になります。ここからもうすぐで城址につきます。
ここから本格的に城址跡になります。
乃木大将の漢詩碑や案内板のある曲輪です。
本丸には電波塔が建っています。
空湟(からぼり)から先は通行止めになっていました。
東側から
日没とカメラのバッテリー残量、疲労度から横着して下まで降りずに上から。
富士山がやっと顔を出してくれました。
東側の登山道は通行止めでした。
ちょっと薄くなっていますがこの案内図と同じようなパンフレットがふれあいの館で手に入れることができます。
南側の巨大な岩壁は鏡岩と言われています。この岩の上に城址があります。
日没時間も考慮して大手門跡側(築坂峠)は遠慮しました。
揚城戸を抜けた場所にあります。
揚城戸門・番所から山尾根の曲輪群への虎口です。
西側も断崖で足がすくみます。
乃木大将の漢詩碑や案内板のある曲輪です。
崖の上から撮ったので怖かったです。
通行止めになっていました。
北側も急こう配で難攻不落だったのがよくわかります。
代替の駐車場マップですが重要な岩殿城の位置が書かれていないです。 岩殿城の登山口は右端上の半分見切れている橋の先になります。
本日限定と書いてあるのでいつでも使えるというわけではないかもです。(当日は土曜日でした)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する