鉢形城
鉢形城

[埼玉県][武蔵] 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2


  • 平均評価:★★★★☆ 3.62(52位)
  • 見学時間:1時間18分(36位)
  • 攻城人数:2041(67位)

鉢形城公園の現地案内図

鉢形城歴史館によって作成された鉢形城公園のフィールドマップです。

提供:鉢形城歴史館
提供:鉢形城歴史館
鉢形城の歴史
 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡(じょうかくあと)として、昭和7年に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川(あらかわ)と深沢川(ふかさわがわ)に挟(はさ)まれた断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の上に築(きず)かれていて、天然(てんねん)の要害(ようがい)をなしています。この地は、交通の要衝(ようしょう)に当たり、上州(じょうしゅう)や信州(しんしゅう)方面を望(のぞ)む重要な地点でした。
 鉢形城は、文明(ぶんめい)8年(1476)関東管領(かんとうかんれい)であった山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣(かしん)長尾景春(ながおかげはる)が築城(ちくじょう)したと伝えられています。後に、この地域(ちいき)の豪族(ごうぞく)藤田康邦(ふじたやすくに)に入婿(にゅうせい)した、小田原(おだわら)の北条氏康(ほうじょううじやす)の四男氏邦(うじくに)が整備拡充(せいびかくじゅう)し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模(きぼ)を誇(ほこ)る鉢形城は、北関東支配の拠点(きょてん)として、さらに甲斐(かい)・信濃(しなの)からの侵攻(しんこう)への備(そな)えとして重要な役割を担(にな)いました。
 天正(てんしょう)18年(1590)の豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原攻めの際(さい)には、後北条氏(ごほうじょうし)の重要な支城(しじょう)として、前田利家(まえだとしいえ)・上杉景勝(うえすぎかげかつ)等の北国軍(ほくこくぐん)に包囲(ほうい)され、攻防戦が展開されました。1ケ月余りにおよぶ籠城(ろうじょう)の後、北條氏邦は、6月14日に至(いた)り、城兵(じょうへい)の助命(じょめい)を条件に開城(かいじょう)しました。
 開城後は、徳川氏(とくがわし)の関東入国に伴い、家康配下(いえやすはいか)の成瀬正一(なるせまさかず)・日下部定好(くさかべさだよし)が代官(だいかん)となり、この地を統治(とうち)しました。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

鉢形城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る