お知らせ 詳細
北西曲輪群Ⅳ郭、奥はⅢ郭の切岸です。各曲輪が広々としています。北西の尾根自体は緩やかな傾斜なのに、曲輪を広く長くすることで切岸が高くなっています。
山麓の城主居館跡の奥のゲートを開閉して登城しました。急ですが木の段もあり距離は短いです。
本丸下帯曲輪には上下二段の石垣が取り巻いていたようです。これは下段ですね。
本丸北西虎口へ向かうと帯曲輪の段石垣がちらほら見えます。
堀切の両壁面まで石垣が積んであります。 橋脚礎石が見つかり橋が架かっていたようです。 転用石にされてしまった石仏さんが並んでいます。 奥が本丸です。
本丸と切岸、堀切で分断されたII郭。とても眺望が良いです。ここから北西に向けて戦国の山城らしい連続段曲輪群が続きステキです。
本丸には北西、東に虎口があります。今の形状を見ると土塁に石垣を施した感じだったのでしょうか。鏡石や門礎石などの大石も残っています。
資料館前にも立派な城趾碑がありますが、本丸にも大正時代に建てられた石碑があります。本丸からの眺望、とても良いです。
石段がある虎口で直進できず、90度左に曲がって入るようになっています。
本丸の南東背後の大堀切、奥が本丸です。ダイナミックでV字の写真は撮れません。大堀切から御岳山にかけて低い堀切が三本くらい続きます。
北西に向けて段曲輪が連なります。曲輪群の最後まで高い切岸が続きすばらしいです。ロープで降りて行けます。
北西段曲輪群のⅢ郭、Ⅳ郭は虎口もはっきり残っています。Ⅲ郭の虎口は石垣造りだったかな、という感じです。奥はⅡ郭の切岸です。
北西曲輪群Ⅳ郭、奥はⅢ郭の切岸です。各曲輪が広々としています。北西の尾根自体は緩やかな傾斜なのに、曲輪を広く長くすることで切岸が高くなっています。
Ⅵ郭から見えるⅤ郭の切岸まで高く、90度に近いので素晴らしいです。海岸側にあるから風除け、雪除けとかの意味もあるのかな。
山上の曲輪群にはない高土塁があり築城時期が新しいとされています。奥に喰違虎口。
虎口と名がついてはいるけれど、土塁で囲まれた伝二ノ丸のど真ん中にあるので、敵が山麓居館側、青蓮寺側どちらからの谷道からきても隠れて迎撃するためのものかな、と思いました。
正面虎口の西側、横長石を多用しています。
居館跡は天正期、京極期、廃城後の三つの時代の石垣が見られます。正面虎口西の出張り部分は京極期拡張部分だそうです。 ちょうど当日の朝、石垣前面の下草が刈られたそうです。
木々が繁り段になっているのがわかりにくいですが、数段に国吉城主と家臣団の屋敷跡が広がり、発掘調査の結果、壮大な石垣や平石を配した礎石立建物跡が見つかっています。
佐柿奉行所跡は立派な石垣の上に建っていて、現在は若狭国吉城歴史資料館となっています。建物は江戸時代の庄屋だった旧 田辺半太夫邸を移築したものだそうです。 入館料100円でとても充実した展示内容です。パンフレットをいただき、さらっと回らせていただき、帰りにじっくり見学しました。館内に攻城用の飲み物、携帯食も販売してありました。
先に見ると攻城のイメージが湧きやすいです。
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