お知らせ 詳細
慶応年間(1865〜1868)に新築された石垣です。地元の方によって、見栄えよく草刈りがなされております。
奥に見える建物が若狭国吉城歴史資料館です。草の緑が気持ちを高ぶらせます。
手前は旧田辺半太夫家住宅を移築したものですが、右端の座敷は、元々、佐柿町奉行所の座敷だったそうです。
若狭国吉城歴史資料館の西側にある石垣は、寛永12年(1635)に築かれたもので、国吉城の築石を再利用しているそうです。
座敷の壁色は、ベンガラ仕上げの赤壁だったそうで、復元の際、近い色で仕上げているとのことです。
若狭国吉城歴史資料館内に掲示されています。
手前の土手に隠れている石垣は、豊臣大名の木村期のもので、奥に延びる石垣は、徳川大名の京極期のものだそうです。
若狭国吉城歴史資料館の北側にある大きな土塁です。
裾部に豊臣大名の木村期の石垣が見えます。
城主居館跡の北西角にある石組溝です。下に見える曲輪は、かって青蓮寺があった青蓮寺谷です。
左手に見えるのは、土塁です。
西側からの敵に備えられています。
中央を走る国道27号線より一つ左の道が旧丹後街道で、よく見渡せます。
本丸の中でも一段、高い土壇となっています。
本丸よりここの方が日本海が良く見えます。
Ⅱ曲輪から撮影しました。手前が堀切で、奥が本丸となります。
詰城と尾根続きの山で熊の目撃があったそうです。自分は、杖で音を鳴らしながら登りました。
かっての造酒屋で、江戸時代からある建物です。旧丹後街道沿いにありますが、内部見学は、出来ません。
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