篠山城は桜の名所として有名です。 4月3日に攻城しましたが、桜はまだ3~5分咲きでした。
御祭神は、篠山藩主青山氏の遠祖青山忠俊と第4代藩主・青山忠裕です。
御祭神は、篠山藩主青山氏の遠祖青山忠俊と第4代藩主・青山忠裕です。
青山忠誠公は第5代藩主・青山忠良公の10男で、兄の6代藩主・青山忠敏公が亡くなった後に家督を継ぎました。
丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山(八上城跡)が見えます。
大書院入口が見えます。
桜並木が見えます。
大書院が見えます。
寛政九年(1797年)の創業
日蓮宗 妙長山 本経寺の奥の院です。 本経寺は慶長6年(1601年)、土浦城主・松平阿房守信吉が実母(徳川家康姉)の供養のため建立しましたが、元和5年(1619)、松平信吉が篠山城主になった際、現在の地に移しました。
土俵の上にお祀りされており、勝利守護・開運大勝利の御利益があります。 以下、云われです。 「篠山藩主青山忠裕公が老中であった約170年前の文政年間の頃、毎年春と夏に、江戸両国の回向院広場で、将軍上覧の大相撲が催されていた。ところが、いつも篠山藩のお抱え力士たちは負けてばかりであった。 ある年の春場所のこと、篠山から来たという王地山平左衛門ら8名の力士と行司1名、頭取1名の 一行10名が現れ、土俵に上がると連戦連勝してしまった。 負けきらいのお殿様は大変喜んで、その者達に 褒美をやろうとされたが、どこにもいない。後で調べてみると、なんと全員が領内のお稲荷さんの名前だった。そこで、それぞれに、幟や絵馬などを奉納して感謝したという。」 今は、招福除災・商売繁盛勝利守護、それに合格成就の神として広く信仰されています。
日蓮宗 妙長山 本経寺の奥の院です。 本経寺は慶長6年(1601年)、土浦城主・松平阿房守信吉が実母(徳川家康姉)の供養のため建立しましたが、元和5年(1619)、松平信吉が篠山城主になった際、現在の地に移しました。
日蓮宗武蔵国池上本門寺の末寺として常陸の国土浦にありましたが、当地への移転に際し、京都の日蓮宗大本山妙顕寺の末寺となりました。 開基は慶長6年(1601)、土浦城主松平阿房守信吉が実母(徳川家康姉)の供養のため建立しました。 元和5年(1619)松平安房守信吉、丹波篠山城主として転封の際、本堂を解体し船に乗せ瀬戸内海に入り、加古川口より曳き舟に乗せ替え久下に着き、そこから牛車にて陸送し、河原町の現在地に敷地を賜わり移築建立されました。
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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