仙台市教育委員会によって作成された仙台城見聞館の公式パンフレットです。
仙台城見聞館には、各種模型・レプリカ、映像等で仙台城の築城や城下町の歴史や歴史、遺構発掘調査の成果などが展示されています。
仙台城の築城
仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営され、慶長7年(1602)には一応の完成をみたとされています。城は、東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、西が険しい山に囲まれた天然の要害で、石垣は主に本丸の周りに築かれました。築城当初は、本丸と現在では三の丸と呼ばれている地区が整備されました。その後、二代藩主忠宗が二の丸を造営すると、二の丸が藩政の中心となりました。仙台城の石垣
本丸北壁石垣は、平成9年~16年にかけて修復工事が行われ、弘治を伴う発掘調査で、現在の石垣の裏側から、2時期の古い石垣が発見されました。最も古いⅠ期石垣は、政宗が築城時の17世紀初頭のもので、自然石を使用せず、長いほうを横方向にして積んでいます。次の段階のⅡ期石垣は、17世紀前半のもので、自然石に多少加工を加え、長いほうを前後にして積んでいます。現在のⅢ期石垣は、寛文8年(1668)の自信の復旧のために17世紀後半に築かれたもので、全面が加工された「切石」を、目地をそろえて積んでいます。仙台城の象徴! 本丸大広間
本丸には「表」と「奥」とに分かれて数多くの御殿建物が建てられ、その中心が慶長15年」(1610)に完成した「大広間」でした。大広間には全部で14の部屋があり、周囲に廻る縁側を合わせると約430畳もの広さがある桃山建築の粋を集めた豪壮華麗な建物でした。また大広間の北には「能舞台」、東の崖側には「懸造」がありました。政宗が座った「上段の間」
上段の間は、最も重要な儀式や、藩主が家臣との対面を行った格式の高い部屋です。幅が4間(約7.9m)もあり、奥の「床」(とこ)には狩野左京による「桐と鳳凰」の障壁画が描かれていました。また北側には天皇家や将軍家を迎える際に使用「上々段の間」がありました。
仙台城には御殿や櫓といった建造物は残っていませんが、石垣や堀跡・土塁といった遺構を見ることができます。