昔、七戸城の殿様には美しいお姫様がおり、身分の低い武士と恋仲となり、それがある日、殿様に知られ、相手の武士は殺されてしまったそうです。
その殺された武士の後を追い、お姫様も自害したと伝えられています。
ここにある二つの塚は、お姫様と武士がこの世では一緒になれなかったが、あの世で二人が一緒にいられるようにという思いで二人が埋葬されたものと言われております。
ここにある石碑は昭和四十七年に三百年忌追善供養のため建てられたものです。
この姫塚の呼び方には、さらに諸説があり、「姫ヶ塚」「鍋塚」などとも呼ばれております。(現地説明板より)
写真は内側から撮ったものです。 この日、葬儀が行われていたので、表側からは撮りませんでした。
外郭だけが史跡範囲から外れていますが、そのうち国指定史跡になるのではないかと勝手に期待しています。
昔、七戸城の殿様には美しいお姫様がおり、身分の低い武士と恋仲となり、それがある日、殿様に知られ、相手の武士は殺されてしまったそうです。 その殺された武士の後を追い、お姫様も自害したと伝えられています。 ここにある二つの塚は、お姫様と武士がこの世では一緒になれなかったが、あの世で二人が一緒にいられるようにという思いで二人が埋葬されたものと言われております。 ここにある石碑は昭和四十七年に三百年忌追善供養のため建てられたものです。 この姫塚の呼び方には、さらに諸説があり、「姫ヶ塚」「鍋塚」などとも呼ばれております。(現地説明板より)
写真中央が土橋で、その両側に空堀があります。
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