三原駅2階にあります。
船入櫓台の北東側の模様です。
中門を上手いこと利用して、うきしろラ・メールの駐車場出入口となっております。
広島大学附属三原幼稚園の東側にあります。この道を登れば、桜山に行けます。桜山には、桜山城跡があるそうです。
サーパス三原駅前というマンションの駐車場にあります。曲輪跡には、民家が建っていました。
当時の最新技術であった海の底から直接石垣を組み立てる工法は、今、なお美しさが保たれており、当時の建築技術の高さをうかかい知れます。
三原市西町2丁目3番22号にあります。
三原市西町2丁目3番22号にあります。
三原駅1階から撮影しました。
天守台は、公園風に整備されています。
残念なことに駅2階(改札階)から北側への出入口は、石垣を貫通して出来たトンネル(?)です。ビッくらポンです。
手前から新幹線高架、在来線高架となります。
ご覧のように鉄道が城跡を横断しております。
三原駅2階にあります。
茶色が当時の城域で、白色が現在の三原市内の様子です。
南東角から撮影しました。
天守台へは、JR三原駅2階(改札階)から専用の階段を上がります。もちろん、無料です。
天守台へは、午前6時30分から午後10時00分まで見学出来ます。
北西側の眺めです。
北東側の眺めです。
天守台の中央部分にあります。
三原駅の南側にあります。とても分かりやすいです。
当時は海であった城町公園から撮影しました。
船入櫓台の南東面の石垣の状況です。 撓みが見られます
少し撓みがでております。
船入櫓台は、当時は小島の一部であったと言われる岩礁の上に築かれています。
当時の船入跡で、石垣が、船入櫓台まで続いております。
ここから船入櫓台に上がることが出来ます。
近世に作られたもどきの門があります。
船入櫓台の上は、かなり広いです。
船入櫓台には、井戸が設けられていました。
船入は埋め立てられて、建物が建ち並んでおります。
船入跡は、石垣で囲まれています。
うきしろラ・メールの西側にあります。
現在の状況と対比するのが楽しいです。
うきしろラ・メールの西側にあります。
三原市糸崎8丁目10番1号にあります。
三原市糸崎8丁目10番1号にあります。
三原市糸崎8丁目10番1号にあります。広島県で一番大きな楠だそうです。
三原市糸崎8丁目10番1号にあります。境内から撮影しました。
三原市糸崎8丁目10番1号にあります。境内から撮影しました。
三原市東町3丁目5番1号にあります。高山城搦手門→三原奉行所門→三原小学校門と変遷しております。支柱が近世に追加されております。
三原市東町3丁目5番1号にあります。
三原市東町3丁目5番1号にあります。境内から撮影しました。
三原市東町3丁目5番1号にあります。境内から撮影しました。
神明大橋の北側にあります。水刎とは、水の流れをゆるめ、館町(武家屋敷地)側を守るために作られた鋸刃状の構造物です。
神明大橋の南側の水刎です。
後方に見えるは、山陽新幹線三原駅です。
往時の姿が残っており、石垣が見れます。
城下に時を告げる銅鐘は、今、妙正寺にあります。
城下に時を告げる釣鐘を釣っていたお堂です。妙正寺から約30メートル下った西側斜面上にありますが、ご覧の通り、朽ち果てております。草が生い茂り、入口も封鎖されていることから、これ以上の写真は撮れませんでした。三原市の所有ですから、なんとか修復をお願いしたいものです。
三原市西町2丁目3番22号にあります。
三原市西町2丁目3番22号にあります。
城下を流れる西野川には、水尾と呼ばれる石の導流堤があります。満潮と重なり、少ししか見えませんでした。地元では、ヘビ石と呼ばれています。奥に見える青い橋は水道橋で、人は渡ることが出来ます。
船を綱で繋ぐためのもやい柱が記念碑に転用されています。西浜がんぎ通りにあります。
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