登城口より少し北側になります。
駐車場からは険しそうに見えますが結構楽な登山でした。
山陽自動車道本郷ICを下りて川沿いに南下していくと右手に新高山城、左手に高山城が見えてきます。
新高山城の地下には山陽新幹線のトンネルが、さらに山陽新幹線は対岸の高山城の地下もトンネルで続き、東に10kmいった先では三原城の本丸をぶった切っています。
登城口より少し北側になります。 駐車場からは険しそうに見えますが結構楽な登山でした。
写真右の切岸の上が番所になります。 登城道には古い石段や切岸下の石列などが残っていました。
鐘の段への道から撮影 番所跡は大きく3段の曲輪で構成されています。 主郭へは番所の脇の道を真っすぐです。
手前に土塁があります。
匡真寺跡にて
石段の上には門があったそうです。
当時からのものと思われる石段が残っています。
中央に建物が建っていた痕跡があります。
三原城修築の際に石垣は三原城に転用されたそうで、残された石垣の石材が散乱していました。
三原城修築の際に石垣は三原城に転用されたそうで、残された石垣の石材が散乱していました。
三原城修築の際に石垣は三原城に転用されたそうで、残された石垣の石材が散乱していました。
うっすら枡形状の土塁が残っていました。
うっすら枡形状の土塁が残っていました。
うっすら枡形状の土塁が残っていました。
礎石らしきものが残っていました。
右側の段の先に詰の丸があります。
内容は昔のまま新しい案内板になってました。
詰の丸の東端からの眺望は素晴らしく対岸の高山城がよく見渡せます。 そこにはベンチと新高山城(6分)と高山城(4分)の音声案内が流れる説明機が設置されています。
詰の丸の東端です。 詰の丸は岩場で石切り場でもあったようです。現在は石仏や矢穴の残った残念石などが転がっていました。
本丸から北側、大手門下の曲輪で6カ所もの石積の大井戸がある曲輪です。 写真で柵に囲まれている場所はすべて井戸です。
釣井の段から
釣井の段から本丸北側の中の丸
釣井の段の東側の一段高くなったところです。
枯れているもの、水がまだわいているもの様々でした。
釣井の段の中ほどから本丸側を撮影。
釣井の段下段には一番大きな井戸があります。
釣井の段下段にある一番大きな井戸跡です。
ここに建っていた大手門が宗光寺の山門に移築されたと言うことですが、宗光寺にある解説板にあるようにちょっと山門がでかく移築のものではない気がしました。
中の丸(北側)は土塁によって区切られていました。
中の丸(北側)は土塁で本丸側と分断していますが石垣造りの虎口がありました。
写真左側には中の丸(北側)の土塁、細い通路を挟んで右側が本丸の切岸です。
石弓の段と中の丸(西側)の間も土塁と堀切で分断されていました。
奥の高台は西の丸になります。
石弓の段から 北側の麓(船木)からここに登ってこられる登山道があるみたいです。
新高山城の大手門の移築と伝わっていますが、違う可能性が高いそうです。 駐車場もあるようですが道が狭いので歩いて行きました。 石段のブルーシートの下にはひな祭りの石でできたひな人形が並べてあったようです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する