徳島県指定文化財 史跡
一宮城跡 昭和29年8月6日指定
延元(えんげん)3年(1338)小笠原宮内大輔(くないたいほ)長宗(ながむね)によって構築、城主は、小笠原・一宮・長曽我部(ちょうそかべ)氏を経て、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)公のとき、元和(げんな)元年(1615)一国一城令により廃城(はいじょう)となる。
天然の地形を利用したのみならず、構造もすこぶる精巧堅固(せいこうけんご)で阿波の名城に数えられている。
一宮城跡 一宮城は、前方に鮎喰川、後方に険しい山々がそびえ立つ自然の要害に築かれた大規模な山城であった。 現在では、標高144メートルの本丸跡に石塁が残っており、その他、明神丸、才蔵丸、水手丸、小倉丸、椎丸、倉庫跡の遺構も明らかで、貯水池といわれるくぼ地もその跡をとどめている。 この城は、南北朝時代、南朝に味方していた山岳武士の拠点であり、一宮氏が長年居城としていたが、成祐のとき土佐の長宗我部氏に占拠された。 その後、豊臣秀吉が四国を平定し、天正13年(1585)、蜂須賀氏が最初入城したのが、一宮城であった。翌年、蜂須賀氏が徳島城に移ってからは、その支城として有力家臣を置いて守らせたが、元和元年(1615)の一国一城令により、廃城となった。 なお、一宮城跡は県指定史跡となっている。 また、一宮城跡周辺には、本殿が国の重要文化財に指定されている一宮神社、四国八十八ヶ所第13番札所の大日寺などの観光名所がある。 RUINS OF ICHINOMIYA CASTLE Ichinomiya Castle was a large mountain fortress built in an area of strategic importance,which was bordered in front by the Akui River and in the rear by protective mountains. The remains of a stone wall may be seen in the ruins of the Honmaru(main compound)built at144 meters above sea level.Nearby are remains of a storehouse,a water reservoir and the building complexes of the castle(Myojinmaru,Saizomaru,Mizunotemaru,Oguramaru and Shiinomaru). For generations,the Ichinomiya family resided in the castle and it served as a military stronghold. In the thirteenth year of Tensho(1585)Toyotomi Hideyoshi conquered Shikoku Island and the castle was ceded formally to Hachisuka Iemasa.In the following year,Lord Hachisuka built Tokushima Castle and moved there.Ichinomiya castle was closed because of the law issued in the first year of Genna(1615)which allowed only one castle in each province. Ichinomiya castle is designated as a historic site of Tokushima Prefecture. Near the ruins of Ichinomiya castle are sightseeing spots such as Ichinomiya Shrine(whose main shrine is designated as an important cultural asset)and Dainichiji(the thirteenth temple of the eighty-eight temples of the Shikoku pilgrimage). 徳島市
登山口を上がっていくと竪堀が現れます。
登山道から少し上がったところにありました。
左側へ行くと本丸、右側へ行くと明神丸。分岐点に門跡があります。
徳島県指定文化財 史跡 一宮城跡 昭和29年8月6日指定 延元(えんげん)3年(1338)小笠原宮内大輔(くないたいほ)長宗(ながむね)によって構築、城主は、小笠原・一宮・長曽我部(ちょうそかべ)氏を経て、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)公のとき、元和(げんな)元年(1615)一国一城令により廃城(はいじょう)となる。 天然の地形を利用したのみならず、構造もすこぶる精巧堅固(せいこうけんご)で阿波の名城に数えられている。
本丸跡には若宮神社があります。
本丸石垣の西側に釜床跡があります。以下案内板より 釜床跡(かまとこあと) 城の炊事場の跡で、北の斜面は石垣で築かれています。本丸の下の釜床には石組が1基残っていますが、以前には数基並んでいました。
阿波九城の一つに数えられています。寛永15(1638)年に廃城となりました。
徳島市内を臨むことができます。天気のよい日ははるか淡路島まで見ることができます。
一宮城跡登山道のすぐ西側にあります。
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