二曲城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
国指定史跡二曲(ふとげ)城跡
当城跡は、鳥越(とりごえ)城跡とともに織田信長(おだのぶなが)の攻勢に最後まで抵抗した、白山麓(ろく)の一向一揆(いっこういっき)の拠点となった城跡である。 二曲の地は、白山麓門徒の指導者であった鈴木(二曲)氏の本拠で、本来、この城跡は、山麓の通称「殿様屋敷(とのさまやしき)」の館に居住した同氏の砦(とりで)であった。 城跡は鳥越城跡から大日川の対岸に相対する標高二六八メートルの独立峰上に築かれており、山頂は平坦に削平(さくへい)されていて、屋根上に腰郭と空堀の遺構が確認できる。 天正八年(一五八〇)十一月、鳥越城跡とともに落城するが、山内衆の抵抗はこれをもって終わらなかった。『信長公記(のぶながこうき)』によれば、翌天正九年(一五八一)二月、加州(かしゅう)一揆が蜂起(ほうき)して「ふとうげ」に入置かれた柴田勝家(しばたかついえ)の人数三百人を悉(ことごと)く討ち果たしたとある。 しかしこれも、織田方の佐久間盛政(さくまもりまさ)によって鎮圧された。翌天正十年、一揆衆は再度鳥越・二曲両城を奪還(だっかん)するが、同年三月、生捕者三百余人の磔(はりつけ)により終息(しゅうそく)する。 二曲城跡は鳥越城跡とともに加賀一向一揆の最後の砦(とりで)となった歴史の舞台としての意義をもつことから、史跡に指定され、保存が図られている。昭和六十三年十一月設置 鳥越村教育委員会