城址の入口は湖山池沿いの道路脇にあります。案内板が目印です。 写真の左の空き地や舗装道は緑風高校の敷地なので入れませんが、案内板が立っている所に遊歩道があり、東側の高校校舎側へ回り込んだ先に登城口があります。
入口の案内板です。
左側の舗装道ではなく砂利道の方です。
唯一の登城口は東側にあります。
緑風高校の校舎付近に城山への登城口があります。 ここまでは学校敷地とは柵で隔てられた遊歩道があります。
登城口から登ったところの曲輪です。すぐ上が主郭です。
左側に土塁が残っています。
大きな井戸跡が山頂主郭に残っています。
主郭にある案内板です。
天神山城は因幡守護の山名氏の居城で天神山の東麓、現在の緑風高校の敷地に守護所があったと思われ、高校を囲む道路がかつての内堀跡だと考えられています。 外堀はさらに広範囲で外堀内に城下町が形成されていました。
天神山城は因幡守護の山名氏の居城で天神山の東麓、現在の緑風高校の敷地に守護所があったと思われ、高校を囲む道路がかつての内堀跡だと考えられています。 外堀はさらに広範囲で外堀内に城下町が形成されていました。 図にも描かれていますが天神山城の周辺の丘には出城がいくつも築かれていたようです。
主郭中央部には土塁状の岩盤が残されている為、狭くなっています。 (右の藪が岩盤)
主郭の中央部には南北に細長い土塁のような岩盤の露出部があります。 築城以前の磐座跡で、この地が信仰の地であった名残と考えられています。
主郭中央部には土塁状の岩盤が残されており、西側は通路状になっています。
主郭中央部の南側に堀切があります。 堀切先は土壇のようになっており、そこには天神社の祠が建立されています。
主郭中央と南部を分ける堀切付近の土壇上にあります。
主郭の南側は湖山池を展望でき、四阿が建っています。
主郭南部と中央部の間の土壇上に天神社の祠があります。
天神山城は鳥取城に移転するまで因幡の国の中心地でした。
当日は春霞で見え辛かったですが中央の三角の山が鳥取城です。 天神山城は鳥取城に移転するまで因幡の国の中心地でした。
湖山池の対岸には”つづらお城”があります。 また南側の布勢古墳は天神山城の外濠内で、出城の山王社裏山城と重なっています。
主郭南端からは湖山池が望めます。 湖山池はかつては内海で日本海の良港として繁栄していたようですが、1581年頃から自然現象により海と隔てられ寂れてしまったそうです。 車で攻城の場合は写真に写っているナチュラルガーデン駐車場が利用できます。
主郭南側から撮った堀切部分。 奥が中央部で一段高くなっています。右側は天神社のある土壇です。 かつてこの城には三層の天守が建っていたようで、建っていたとしたらこの辺りなのでしょうか?
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